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GWは病むか病まないかのせめぎ合い

GWほど心がおぼつかないことはありません。
そりゃあ、休み自体は嬉しいですよ?けれど、仕事等で懸念事項があったら心のどこかでソワソワしてしまうのです。
全ては休み明けでしか動けないのに、今動かないとやってられない思いが募るばかりですよね。
実は今、仕事での懸念事項が原因で心配と焦りが支配されそうになっているのですが、必死に考えないようにしています。休み前に起こった事によっては、それが地獄になることもあるわけです。
俗にいう「五月病」の直前とイメージしていただけると分かりやすいかと思います。私はそれでプチうつになったことがありました。

学生時代のことです。大学2年になった私はコンビニでアルバイトを始めました。
入って一ヶ月後くらいのことです。夜勤の新人さんとレジ点検をすることになりました。彼は年上でしたが、数日違いで私が先に入っていたので無意識に先輩風を吹かしていたのか、レジのドロア(レジの中にあるお金を入れる箱)を新人さんが持ってくるように頼んでしまいました。というのも、シフト交代の際は前シフトで働く人がドロアを持ってくるルールで、あろうことか私は次のシフトの人、ましてや年上の人に持ってこさせてしまったのです。
当然、一緒に入っていた先輩は大激怒しました。
「虹倉さん、あなた何様なんですか?」と10分くらいに渡ってお説教されてのは今でも覚えています。勘違いしないで欲しいのですが、先輩が言った「何様なんだ?」というのは「ルールに沿わず、しかも入ったばかりの新人の癖に同じく入ったばかりの新人にドロアを持ってくるようにしたのは働く上でのマナー以前の問題だ」ということです。今にして思えば、かなり強めに説教してくださった先輩に感謝していますが、当時は業務ひとつひとつにリソースをフル活用していたので…正直、その行動がNGということを知りませんでした。無知だったために、良かれと思って行った行動が裏目に出てしまったわけです。

過去のトラウマが原因で、私は必要以上に自責してしまう癖を持っています。
私の中で「怒られた」ことは「やってはいけないことをした」ということ。これまでの経験から、注意を受けると陰でいろんなことを言われるようになると懸念しました。そうして得た人生訓として「私はいらない」と勝手に自己完結してしまったのです。
奇しくもその日は4/29(昭和の日)。次のシフトはGW明けの平日でした。

次の日以降、私はアパートでネットサーフィンばかりしていました。
授業は休講、友達は実家…残っているのは、ネットとわずかなお金と背伸びして買ったマイカーだけ。出かける気分にもならなかったので、当然服は部屋着のまま。お風呂も入ったり入らなかったりの繰り返しでした。
悪いことをした弊害は止まらない自己否定心をもたらしました。たった一回の叱責で「悪いことをした」「私がいなくてもバイト先は回る」「というかいないほうが安泰なのでは?」「死んだほうがマシ」と常々考えました。もう消しましたがTwitterにも「死にたい」とよくつぶやいていたと思います。
バイトとはいえ、労働は労働です。歯車が噛み合わなかったら他のものもストップしてしまいます。私は動いている歯車を悪意なき無知によって止めてしまいました。
結果、人間としてダメな部分を先輩に叱責されました。しかし、わざとやったわけではありません。学生時分ゆえの幼さも左右されたのでしょうか…理由を正当化させても「悪くないけど他人からすれば悪い」と思考をグルグルさせ、何もやっていないのに疲れ果てた日々を過ごしました。

光が見え始めたのは第三者に相談に乗ってもらったことです。
Twitterを見た大学の同期が心配してLINEをしてくれました。私は思い切って事の顛末を話しました。同期は「そっか」「つらかったね」と真剣に話を聞いてくれました。
そのおかげでちょっとだけ気分が晴れてきたのか、他のことも話すようになり、少しずつではありましたが「バイトを続けよう」と奮起することができたのです。
あのLINEがなかったら下手するとこのままバイトを辞めていたかもしれません。そういう点では、同期に心を打ち明けて本当に良かったと思っています。

一週間後、例の先輩とシフトが一緒になりました。
心が晴れても、先輩の顔を合わせるのはどうも心苦しく感じました。
それでも、シフトはシフトです。これを乗り越えなければ、無駄なストレスを抱えたままバイトをしなければならなくなります。

開口一番、私は謝りました。すると先輩は…

「私も言い過ぎた。落ち込んでると思って申し訳ないことをしてしまった。こっちこそごめんね」

私のことを案じてくださったのです。

なんだか、今まで自責していたことがアホらしくなりました。
ですがあの叱責がなければ、私は今以上に常識のネジが外れたまま社会に出ていたと思います。
トラウマの膿は出し切れていないこともあって、心がもう少し強くて物わかりが良ければここまで病んでいなかったでしょう。
当然、それ以降は先輩を信頼するようになりました。就活で一旦バイトを辞めると聞いたときは寂しかったです。私もまた、就活を理由にバイトを辞めますが…人生を進めるには辞めざるを得ないこともあるわけです。

今も叱責されると自責する癖があります。
それは「良かれと思って」やっている自信があるからこそ、勝手に気分を害してしまうからです。
社会生活では、こういうタイプが一番厄介だといわれています。代表して言わせてもらうと、別に好きで気分を悪くしているわけではなくて、自分で自分を責めているだけに過ぎないのです。
ですが、それではあまりにもガキ臭いですよね。そんなことは誰よりも自分自身が分かっていることです。本当は自責なんてしたくありません。
これを解決するには自分と他人の区別を付けるようになることですが、まずはトラウマを緩和させることから始めなければいけないような気がします。

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