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ぼーっとすることの重要性

ナイーブであればあるほどぼーっとしたい欲に駆られる。
しかし案件を請け負っている以上、そういうことに費やす時間が削られる。
自分で選んだ道とはいえ、あまりにも茨の道すぎないかと思うくらいだ。

会社での出来事を綴ってみる。
今日は朝イチで取引先に送る荷物の梱包に取り掛かった。物の数が多いので段ボール2個で送ろうと思っていた矢先、片方が閉まらないことが判明。隙間にプチプチを詰め込んだからイケると思っていただけに、こういうアレはイラっとする。
見かねた同僚がプチプチの使用術に関するアドバイスをしてくれた。それでも私は上手くいかなくて、ギリギリ運べるラインの段ボールにまとめて入れようと考えた。
同僚は仲の良い人と話をしている。笑っていたけど、話題は多分私だと思う。「こんなことすらできない虹倉さんってどうなの」とピエロ扱いして、私の一挙手一投足を見ては心の中で小馬鹿にしているんだと感じた。
休みのときは私が代わりに業務ルーティンを引き受けているのに、自分ができるからという理由でできない人間を嘲笑う。実際そんなことは一切ないが、このときの私はそう感じてしまった。

結局、そんなことは生活の忙しさ等で互いに忘れる。覚えていたとしてもそのときで完結していて、お互い様の精神で助け合う。
実際同僚が休みのときは私が代行するし、私が休みのときは同僚がやってくれる。私ができない側なのは紛れもない事実なので、それでも頼むということはそれなりに評価してくれていると思うことにしている。多分向こうも向こうで同じことを考えているかもしれないし、そもそも気にしていないことだって普通にある。だから私も水に流す。

そういうことを抜きにしても、上役から求められるものは日に日に増してきていて、私達事務メンバーは上司含めて疲弊している。上司が「業務の洗い出しをしてくれ」と言ったのはそういうことで、少ない人員でも回せるような工夫をしなければならないときが来ているのだ。
ただ私は入社直後に上司からそういう話を聞かされているので、今になってかとも思った。理想と現実は別物としても、どうせやるならもっと早くにやってほしかった。
「今いる人達に負担が増えるだけだよね」と言う同僚に「そうだよね……」としか返せない上司。言いたくても言えないPOISONを腹に溜め込むばかりで、どう効率化するかを上役に委ねる他なかった。

気疲れの影響であれだけ渋っていた自主的なおやつを解禁するに至った。
あすけん神話を信じこみ、死んでいる顔にアイス抹茶ラテを経口摂取する。ついでにレジ横のカレーパンも含めてみたが、正気が戻ることはなかった。
家に帰ると見切り品で見つけたお菓子が待っている。夕食を記録したら見事にカロリーオーバーしたので結局おやつは持ち越し。無糖の午後ティー(0kcal)をちびちび飲んだ。

頼まれていた案件をこなし、他のものもやろうかと思ったけどやめた。
無駄に余った時間は休めるチャンスでもあって、この機を逃したらもっと目が死んでしまうのではないかと懸念している。だってまだ今月分の読書終わっていないし朗読リクエストも前より進まなくなっているし、運動だってしないといけない。
こうしてみると、私の可処分時間はたっぷりあるようで意外と少ない。なんたって土日は予定が入っていなければ執筆に割かれるし、それでも余れば収録したり営業したりもする。そうしなければ副業収入を上げる確率は段違いだし、ダメでも数打ち当たればなんとかなる。いい加減ナレーションの仕事をしないと物書き要素しかなくなってしまうからそこだけはなんとしても決めたい。

とまぁここまではさぞ立派な志を掲げていると見てとれるが、実際はぼーっとYoutubeを眺めているのが関の山である。懸賞パズルをしながらゆっくり動画を見たり、布団からスマホをいじりまくったりするのがどんなに幸せなことかと30手前で思い知った。
根っからのダメ人間なんだけど、ダメでいられる自分がなんやかんや一番良くて休まさる。「◯◯ささる(◯◯しちゃう)」は青森弁だが、表現的にはこの表現がしっくり来る。マジこうでもしないと休まらん。
自由に過ごしていいならSwitchの懐かしゲーをやりたいし、お金に余裕があれば温泉旅館でまったりしたいまである。コリだらけの心身をほぐしきって、誰も知らないところへ行きたいのが夢だ。

ぼーっとするためにSNSを見ている。ここでなら、会社で話せない自分の将来や価値観を曝け出せる。
気がつけばこれを書くのに1時間半かかった。可処分時間はなくなった。

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