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小さなわたしにトントン

なんてことない、ふとした瞬間に幼かった頃の記憶が立ち上がって胸がギュッと詰まることがある。この前もそんなことがあった。

予め立てていた予定がキャンセルや変更になったりしたとき、大抵の場合はサッと気持ちを切り換えて仕切り直すことができるのだけど、そのときはどうしてだか変なツボを押されたみたいに、ある記憶が再生されてしまった。

それは手術入院のために幼稚園の卒園式に出席できなかったという出来事だった。当時のわたしには小学校に上がる前に手術した方がいいと言われていた病気があって、両親はいろいろ考えてその時期を選んだんだろうけど、わたしには入院直前までそのことを知らされなかった。

卒園式に出られないことを知ったわたしは残念とか悲しいとかいうよりも「なんで勝手に決めたん?」と自分に相談もなく勝手に予定が決められたいうことに怒りを感じていたんだな〜と、あれから45年ほどの歳月が経って、やっと気づいた。

今さら?なぜ今頃になって? もうすっかり忘れていた記憶が急に引っ張り出されて来たことに驚いた。人間の脳というか、心というのは摩訶不思議な働き方をするものだ。

小さなわたしの怒りは今も自分の心の中で息をしていたんだな。実はこの手の怒りは大人になった今も形を変えて存在していて、自分にだけ大事なことが知らされないとか、相談もなく予定が決められてしまって事後報告されるというような場面に出くわしたときに、どうしようもないやるせなさや無力感として現れたり、怒りになって表に出ようとしたりする。

いくつになっても小さなわたしは自分の中に生き続けているし、こうして記憶を通して何度も出会い続けていく。その度に小さなわたしをハグして話しかける。辛かったね、悲しかったね、さみしかったね、腹立ったね、ムカつくね、イライラするね。小さなわたしにも分かりやすい言葉で声をかけ、小さな背中を大きくなったわたしの手でトントンする。単なるイメージだけれど、これをすると心がスーッと落ち着いて楽になる。そして、また一歩、自分と深くつながれる感じがするのだ。

日々のこういう何気ない場面で自分とつながり直す習慣ができると、心が丈夫になるというか、些細なことで傷ついたり凹んだりしなくなって来る。

もう50年も生きてるのにな〜と思うけれど、地味にこうして小さなわたしをハグし続けることがこれから先の人生を豊かにしていってくれるんじゃないかなと思う。



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