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思い出すことと忘れることはふたつでひとつ

新月の朝。昨夜一緒に休んだ石を冷たい水で洗ってひとりで休ませる。
石にもひとりの時間が必要だ。

6時前に起床。さっとシャワーして汗を流す。
カフェオレとメープル&バターのトーストで朝ごはん。

怖がりの自分と出会う。挨拶をする「大丈夫だよ」と声をかける。
気になっていた右手の痛みはあの石が欠けていく月と共にさらっていってくれた。

新しい自分が今、呼吸している。疲れたわたしを脱ぎ捨てて。

昨夜はもういちど生理が来たみたいな感覚があった。そうそう、こんな感じだったなと思い出しながら身体を観察してみる。いのちを宿す役割を終えても、わたしはここにいる、そう主張しているかのようだった。

再び自分を生きるチャンスを与えられたような感じがした。 月もわたしも。
傲慢さやちっぽけなプライドを脱ぎ去った後に残るものが本当のわたし。

蟹座の新月。
見えない月と一緒に自分の孤独に降りていく。
そこで見つけた光と共に帰って来た。
いのちの願いをたずさえて。

新月は生理みたいだな。

思い出すことと忘れることはふたつでひとつ。
悲しみや痛みを思い出したら、忘れることを忘れないこと。
いつまでもそこに思い留まることは人生の息を止めてしまうから。

過去から力を得ることはできない。
悲しみや痛みがやってきたら、きちんと感じて、それが通り過ぎてゆくのを見守ること。

まだ見ぬ世界、これから出会う人たち、自分を待っている冒険に手を伸ばすのは、忘れることがもう始まっているから。

流れの中に身を置くと、忘れることはギフトだとわかる。
もう自分で自分の邪魔はしない。
生きたいように、行きたいように、自分を行かせてやるのだ。

道に迷わなければ、本来の道を見つけることはできない。
自分がこころから願い、望み、欲しいと思うものから目をそらさないことだ。

言葉のメディスン
自分の言葉で自分を前に進ませる。 

誰かの痛みや悲しみ、傷にふれることでわたしも共に癒やされてきたのだと気づいた。 痛みや悲しみ、傷のないところに癒やしもないのだろう。 そして、またわたしの傷も誰かを癒やす道しるべになるのだろう。

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