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天秤座満月の独り言

桜が咲く季節は「時間」についてよく考える。毎年春分に地球暦を張り替え、西暦の新年や春節とは異なる「時の始まり」を感じるからかもしれない。

今年で地球号に乗って太陽の周りを50周したことになる。50歳というと老境に差し掛かりつつあるのを実感させられるけれど、50周というと何だかまだまだ先があるような、未来が開かれていくような気がして来るから不思議だ。

星の公転周期で人生を計る。星の寿命を思うと人間の一生なんて、ほんの瞬きするくらいの一瞬の出来事なのだ。

太陽と月の巡り、星たちの動きと同期しながら、生きることの楽しみや喜びを発掘し、苦悩のときも星たちに励まされながら一歩ずつ前進して来た。それは今後も変わらず続いていくのだろう。

星たちや自然の樹々や鉱物など自分の命を超えてなお、そこにあり続けるであろうものに気持ちを向けると、そう遠くない未来にやって来るだろう家族との別れや自らの死というものも安らかに受け止められるような気がして来る。

春のお彼岸(春分を真ん中にして、その前三日と後三日を合わせた計七日間)はミヒャエル・エンデの「モモ」を再読した。自分に与えられた命という「時間」をどう生きていくのか?一人で考えるには深淵すぎるテーマだし、だけど誰かと話し合いたいというのとも違う。ただ現在からちょっと飛び出して、物語の時間の中に身を置いて考えたかった。

毎日ページをめくりながら、子どものとき、そして大人になってから「モモ」と過ごした時間が蘇って来る。ほんの数日の間に少しずつ日の出が早くなり、日没は遅くなってゆく。太陽が昇る位置も日毎に変化し、昼間が長くなって太陽の力がどんどん勢いづいて来るのを肌で感じる。気温も上昇し桜の蕾もふっくらして来て、気づけばもう開花の時期を迎えていた。

芽吹きの季節の時の流れはとても速い。みるみる間に目の前の風景が春色に染まっていく。そのスピードに遅れを取らないよう、追いついていく。

時間というものにふれるとき、人は二人の「時の神」に出会う。クロノスとカイロス。

時計やカレンダーが表す過去から未来へと進む直線的な時間の流れを扱うクロノス。機会や契機、チャンス、ターニングポイントなど一過性のその瞬間、その時を扱うカイロス。

「モモ」を読み、桜を愛でながら、クロノスとカイロス、二人の時の神の存在を感じる。

これまでと変わらず来年も再来年も咲くであろう桜に真っ直ぐ未来に通じる時の流れを思う。それと同時に今年の桜は今、この時にしか咲くことができないという時の儚さを想う。

今年の春は長かったのか?短かったのか?それはその人自身にしかわからない。時間は自分の中に流れる河のようなもの。向こう岸が見えないゆったり流れる大河のようでもあり、小径の傍をさらさらと流れる小川のようでもあり。行き着く先はいずれも遥か遠くの大海原。そこで人は最期にまた出逢うのだろう。

昨夜は出生の太陽の上で月が満ち、満月を迎えた。ひとつの時間が終わり、そしてまた何かが始まったような気がする。その何かはまだ柔らかくて頼りない。確かさや手応えを感じるには少し時間がかかりそうだけど大切にしていこうと思う。

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