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掌編小説【埋める】#シロクマ文芸部

お題「月の耳」

【埋める】(1618文字)

「月の耳を埋めろ」
それだけを書き遺して祖父は逝った。
祖父は宇宙飛行士でもなければ、天体観測を生業にしていたわけでもない。ただのお百姓さんだ。ほとんど学校にも行かず、土とともに八十五年の生涯を全うした。
宇宙を見上げた時間なんて土と向き合った時間に比べたら何万分の一程度だろう。そんな祖父が、月の耳を…埋めろ?達筆な筆文字は、言葉以上の意味を僕に伝えてはくれなかった。

祖父は古い田舎家と小さな畑を僕に遺した。
僕の父母はすでに亡く、僕がたった一人の相続人だったから、僕はそこに移り住むことにした。祖父には生前、何度か町で一緒に暮らそうと言ったけれど祖父は決してうんと言わなかった。

「人は一人で生きて一人で死ぬもんだ」
「そうは言っても結婚して子どもも作ったから、こうして孫がいるんだよね」
僕はそう言ったけれど、祖父はそれはたまたまな、と言った。
「たまたまか」
「気を悪くするなよ。人生で起こることなんて全部たまたまなんだからな」
「そう言われればそうかも」
僕が苦笑すると祖父も笑った。そして言った。
「ここには大事なもんもあるしな」
家や畑のことかと、その時の僕は思っていた。

考えてみれば、今回もたまたま仕事が行き詰まったタイミングでたまたま祖父が死に、たまたま家と畑が遺された。どうせ全部たまたまなんだから流されてみようと思い、僕は移住を決めたのだ。

引っ越してきたのは九月、中秋の名月だった。
僕はまず祖父の遺品整理をすることにした。そしてふと思い出したのが『月の耳』だ。もしかしたら遺品の中にあるのかもしれない。
しかし祖父はほとんどモノを遺していなかった。押し入れも空っぽに近い状態だったが、よく見ると上部に天井につながる穴があいていた。押し入れに穴?この家は祖父が若い頃に自分で作ったものと聞いている。ということはこの穴も祖父がわざわざ作ったのだろう。穴の横には小さな梯子も置いてあったので、僕は懐中電灯を持って上がってみた。

穴から首だけ出してみると天井裏は壁の隙間から月明りが差し込み、意外に明るかった。
しかし何もない。埃やごみ、蜘蛛の巣さえ、ない。祖父が掃除をしていたのだろう。天井裏とは思えない清潔さなのだ。僕はそっと足を踏み入れ、ぐるりと全体を見渡した。やっぱり何もない…。しかし太い梁の後ろに回り込むと、片隅にまるでスピーカーみたいに置かれた小さな箱を見つけた。骨董品が入っているような古い桐箱だ。開けてみると果たして古い茶碗か花器のようなものが入っていた。白く薄い磁器のようだ。しかし妙な形をしている。…耳、のような。ゼリービーンズのような。

これが『月の耳』だろうか。

僕はそれを月明りにかざしてみた。いつか美術館でみた天目茶碗のように繊細で美しい。ひとつひとつの雫のような模様の中に月明りが透けている。
これは『月の耳』だ。僕はそう直観した。

月明りの中、庭に出て穴を掘った。埋めてしまえば永遠に月明りが届かないくらいに深く、深く。
これが仮に何億円もする骨董品であったとしても、僕はやっぱり埋めるだろう。人が聞いたら止めるかもしれないけど。そう思うと笑いがこみ上げた。
僕はたまたま祖父の孫として生まれ、たまたま今『月の耳』を手にしている。そして祖父の代わりにこれを埋める。それが僕の役割だから。
人生で起こることなんて全部たまたまだ。

最後にもう一度『月の耳』を満月にかざした。月明りを浴びた『月の耳』は、埋められることに抵抗するようにいよいよ美しく輝いたが、僕はそれを静かに穴の底に置いた。正しいことをしているという確信があった。
土をかぶせた時、月に雲がかかった。まるで月がしかめ面したみたいに。

僕はもしかしたら、何か大きな役割を果たしたのかもしれない。
ふとそう思ったけれど、それがなぜかはわからない。それきり遺言の事も『月の耳』のことも忘れてしまった。
そして祖父と同じ年までその土地で生きて、死んだ。

『月の耳』は今も地中深く埋められている。


おわり

(2023/5/27 作)

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました。
毎回、ぐっとくるお題をありがとうございます☆
いろんなイメージが浮かびすぎて、どれを書こうか迷った結果…
たまたまこんなん出ました。(;・∀・)

おもしろい!と思っていただける記事があれば、サポートはありがたく受け取らせていただきます。創作活動のための心の糧とさせていただきます☆