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SS【メタモルフォーゼ】#シロクマ文芸部

お題「書く時間」からはじまる物語

【メタモルフォーゼ】(2746文字)

「書く時間を売りませんか?」
 図書館の学習室でノートに向かっていた私に、見知らぬ男性が声をかけてきた。白いシャツにネクタイ、営業マンだろうか。でも今なんて言ったのかしら?買いませんか、じゃなくて…。
「よろしければ談話室でご説明します」
 私はちょうど煮詰まっていたところでもあったので、促されるまま席を立った。若い女性ならナンパを疑うところだろうが、私は特に美魔女でもないただの六十代のおばちゃん。そういう可能性がないのが気楽なところ。むしろ別の目的で騙されそうだけど、お金持ちでもないから大丈夫だろう。

 談話室に着くと、男性はサッと缶コーヒーを二つ購入して私の前に一本置いた。
「よろしければ、どうぞ」
「ありがとうございます」
 知らない人からモノをもらっちゃダメというのは子どもにだけ適用されることだったかなぁ、などと思いつつ受けとる。私の好きなメーカーの微糖だし。
 男性は私の前でほっそりとした指をきれいに組んだ。よく見ると顔立ちもイケメン俳優レベルでなかなかである。これはちょっと得しちゃったと思いながら、話を促すように軽くうなずいた。

「あなたのことをしばらく前から見ていました」
 わぉ、十代か二十代の頃に聞きたかったわ、こんなセリフ。はいはい、それで?素敵な午後が始まる予感。
「ほとんど毎日ここに来て、ずっとなにかを書いておられますね」
「ええ、そうですね。小説を書くのが趣味なんです」
「すばらしいですね。私も読むのは好きです」
 私はにっこりする。ちょっと女学生にでもなった気分で。いいわねぇ、この会話。しかし男性は少し間を置いて身を乗り出すとこう言った。
「…単刀直入に申しますと、あなたの『書く時間』を少しお売りになりませんか?というご提案なのです」
 あーあ、営業トークか。もうちょっと続けたかったのになぁ、少年少女in図書館の会話。

「売るとはどういう意味でしょうか?」
 気分をおばちゃんに切り替えて私はたずねた。
「あなたはおそらく一日のうちでかなりの時間を『書く時間』に充てておられると思うのですが、たとえばそのうちの数時間をお売りになっては?ということなのです。もちろん対価はお支払いしますし、お売りになった時間は『書く』こと以外なら自由にお使いいただけます」

「まぁ、私なんかの『書く時間』を欲しい人なんているのかしら」
「ええ、世間には『書きたい書きたい』と言い続けながら書けないまま人生を終える人がたくさんいるのです…。その方たちのためにあなたの豊富な『書く時間』をお譲りにならないか、と」
「なるほどねぇ。たしかに仕事がお忙しくて、書きたくても書けない方はたくさんいらっしゃるかもしれませんね。でもその方たちは時間さえあればお書きになるのかしら?」

 男性はやや顎を引いて微かに上目遣いで私を見た。睨んでいるようにも微笑んでいるようにも見える。イケメンだなぁ。でもときめかない自分が少々ざんねん。もうそういうホルモンは枯れちゃったのよね。
「さすがに…鋭いですね、小説をお書きになるだけある」
 あらあら、ほめ殺し?
「一時間一万円です。いかがですか」
 いきなり交渉にきたわね。私が貧乏そうに見えたからかしら…。

「毎日一時間としたら、月に三十時間売れば三十万円ということ?」
「その通りです。わるい条件ではないと思うのですが。それに…買われた方が使うかどうかはその方の問題です。あなたには関係ない」
 まぁ、その通りだわね。私もつまらない買い物をして後悔したことはあるわ。それにしても三十万円ですって?揺れないこともない。でも…

「私ねぇ、今ちょうどいいの。お金と時間がちょうどいいだけあるの。すごく幸せなのよ、それが」
 私は本心からそう言った。しかし男性はフッと鼻から軽く息を抜いて言った。
「…失礼ですが、この近くの公団住宅にお住まいですよね。お金がもう少しあればもっといい環境でお暮しになれるのでは?」
「家賃二万円なのよねー。年金で暮らせちゃうの。それで図書館も近いし激安スーパーも近いし、公団内にお友達も住んでるし、なんの不満もないのよ」
 私はだんだん表情が変化していく…というか崩れていく男性の顔を興味深く眺めながら答えた。イケメンくん、どこに行った?

「朝夕のおかずは納豆なんだろ?」
 その通りよ。よくご存じで。
「健康にいいのよ。発酵食品は」
「たまには寿司や天ぷら、ステーキとか食いたくならねぇのかなぁ」
 男性は言葉使いもろとも、座っている姿勢まで完全にズルズルッと崩しながら腹立たし気に言った。
「ごちそうは胃もたれしちゃうのよ、年とると。粗食って最高なの」
 今や人間の形さえ崩れかけている男性が面白すぎて、わくわくしながら私は答えた。
「小説なんか書いたって、どうせ売れねぇのに。一円にだってなりゃしねぇ。バカか」
 醜いゴブリンみたいになった男性が、甲高い声でキィキィ言うのがむしろ可愛らしくて、私は微笑みながら答えた。
「そうねぇ。でも書くのって楽しいのよー。読むだけの人にはわからないでしょうねぇ。一時間一万円はたしかに魅力だけど、代わりにすることもないしねぇ」

 ゴブリンに成り果てた男性は、椅子の上でちょっと拗ねたような顔をして黙って缶コーヒーを開けて飲んだ。その様子が子どもの頃の息子の姿とだぶって、ふと優しい気持ちがこみ上げてしまった私はゴブリンに聞いてみた。

「ねぇ、あなたもホントは何か書きたいんじゃないの?あなたのためだったら一時間くらいあげてもいいわよ、私の時間。もちろんタダで」
 ゴブリンはきょとんとした顔で私を見た。
「え…ほんとですか」
 あら言葉使いが戻ってる。
「ぼく…昔は小説家になりたかったんです。でも誰も読んでくれなくて…だんだん書けなくなって…だから、書いてる人から『書く時間』を巻き上げてやろうって」
「だまそうとしたの?一万円も嘘なの?」
 ゴブリンはこくんとうなずいた。

「嘘はよくないわねぇ。でもそれだったら、今からでもここで書いてみたらいいんじゃないかしら?学習室の私の隣の席が空いてるわよ。あなたにあげた一時間で私はあなたの小説を読むことにするわ」
 缶コーヒーをぎゅっと握りしめていたゴブリンは、いつの間にか元のイケメンに戻っていた。
「…いいんですか?」
「ええ。つまらないことで時間つぶしてないで書きなさいよ」

 それ以来、ゴブリンもといイケメンくんは週に一度、一時間だけ私の隣に小説を書きに来る。彼の小説は正直に言うとそんなに面白くはない。たいてい女の子にフラれる気弱な男の子の物語だ。過去のトラウマを昇華しているのだろう。それもまたよし。
 ここに来る以外の時間はなにしてるの?と聞くと、へへと笑って答えない。きっとゴブリンとしての仕事があるんだろう。
 あまりイタズラしちゃだめよというと、礼儀正しくハイと言う。


おわり

(2023/7/29 作)

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました。
近未来のわが身を小説化してみました…(;・∀・)
一時間一万円なら売っちゃうかもしれんけどー。


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