見出し画像

毎日、あたらしい人になる

と、いうタイトルで、かなーり前にブログを書いていました。

そのときは、シングルマザーでテンパってて頑張ってて、「何かやらなくちゃ、おおおおおー!」とむっちゃ焦ってて、ちょっと背伸びして、こんなタイトルのブログにしたのを覚えてる。でも、いまは背伸びも何もなく、ただ日々これを実践しようと生きているような気がする。

新型コロナさんがやってきて、なんだか人間は生命活動の原点に立ち返ったかのような方向性をともなって、変化の波にふわっと乗っかった。おかげで、世界がより遠くまで見渡せるようになって、視界も広がったみたいに感じているのは、たぶんわたしだけではないはず。

この地球という惑星に張りついて点在する世界中の人たちの暮らしが、より豊かに想像できるようになったような。そんな心地。

国境も、そういえば人間がつくった線だったよねってことを思い出した。世界全体が、自然には抗えないと知って、だったら生きものの一員としてシンプルに純粋な欲求にしたがって生きればいいかもしれないね、みたいなメッセージが、そこここに読み取れる気がしてならなくなった。まだ、生きられるのなら。

じゃあ自分は何をしたいのかなと考えたら、やっぱり書くことみたいだった。だから、書いてみることにしました。もちろん、ぜんぜん自己満レベルに終わる可能性も大だけれど、それでも書くって行為は、わたしにハッピーを与えてくれるのだ。

そして、何を書くのかといえば、自分のこと。

それしか書くことがない(爆)。

自分のことばっかり書いても読む人はつまらないかもしれない。だから不安だけれど、わたしの物語って、きっと、あなたの物語でもある、よね?

ここでざくっと自己紹介しておくと、ふだんは書籍のライターで、つまりはゴーストライターなので、著者であるその人になりきって書くのが仕事。なりきれるわけはないけれど、きっとこの人はこんなふうに世界(や他者)を観るんだよなーとかちょっと偉そうに俯瞰して、己の共感力を最大限に発揮して想像しながら書くの。だから一歩まちがうとぜんぜん違う著者像にもなりかねないんだけれど、今のところ、そんな感じでエッセンスをすくいとって、文章を書いて生きています。

そんなわけで、他者の名前で書くのは得意なんだけれど、自分の名前で書くとなると、けっこうひるむ(苦笑)。

テーマがあるわけじゃない、ぜんぜんまとまってもいないし、そもそも落としどころがあるわけでもなし。

とにかく書くしか能がないので(それすら疑わしいけれど、書いてる自分は好きだしね)、いつか誰かの手に届いて、何かちょっぴりでも力をもらってもらえるようなものになったらうれしいかも、ってな気持ちで、スタートしてみることにしました。

はい。

前置き長いです。汗

いま43歳。わりといろいろ起こった半生だったかもしれない。

いちばんやらかしてしまった地点を振り返ると、たぶん大学時代にホームレスのおっちゃんと恋に落ちたところからだろうか。無責任に恋をしまくって、たくさん人を傷つけて、迷惑かけて、いつも誰かに助けられて生きてきた人生だと思う。

でも何よりいちばんがつんときたのは、お子2の死だった。

もともと結婚制度には違和感があったから、たまたま授かったお子1(娘)はシングルマザーとして育ててきた。すごく大変だった…はず(もう半分以上忘れている)だけれど、このシングルマザーという新しいアイデンティティは、わたしに自信をたんとくれた。そして子どもという未知なる存在が、わたしの糧となり救いとなった。

ひとりで産んで仕事して子育てして6年ほど経ったころ、今のパートナーさんに出会った。酔った勢いで口説いて意気投合してすぐにお子2を授かって、2017年の1月に息子を出産した。つかのま、4人かぞくになった。

彼は、“天使のように可愛い”と形容するのがぴったりのベビーだった。誰にでもにっこにこで、人見知りしきりでギャン泣きだったお子1とは比べものにならない穏やかさで、生まれてきた。

でも、7か月後の2017年真夏の夜、突然息をひきとった。何の前触れもなかった。いつもどおり日々のあれこれに明け暮れ、いつもどおりお風呂に入って眠りについて、夜中に気づくとお子2の息はなかった。そこからの記憶は悪夢でしかない。

しばらくは救急車の音が怖くてたまらなかった。外に出てほかのあかちゃんたちを目にするのも怖かったから、公園も電車も恐怖だった。フラッシュバックもひどかった。動悸がとまらなかった。心臓が突然ドックンと音を立てて収縮することが1日に何度もあって、ああ、身体が嘆いてるんだと思った。身体にも心にも髪の毛にも本当に穴があいた。

毎朝5時に起き出すあかちゃんのお世話が突然まるっと消えて、何をしたらいいかわからない毎朝5時がつづいた。とにかく朝がつらかった。相方さんと一緒に、その不在に涙した。

お子1は、おとなたちが泣いているので「じぶんは泣かない」と決意したようだった。彼がいないという「不在」の重みは、想像以上に大きかった。でも、お子1がいたから生きられていた。

あれから3年。だけれど喪失感というのはなかなか消えないものだね。もう泣きじゃくったり、悲しみのどん底に沈んだりはしない。発狂してもおかしくないじゃんアタシと思うこともあるけれど、わりと正気を保って生きてきた(たぶんね)。

そのあとも4回流産して、もちろん生まれた子が逝ってしまうよりは酷くないかもしれないけれど、いっぱいいっぱい泣いたよ。

そうやって、いろんな「痛み」の幅を、身を持って知れたような気がしている。

そして痛みを知った自分は、今けっこう気に入っている。

まだまだたくさん自己矛盾があるけれど、それでも自分が好きと言える。

「痛み」には、たぶん汎用性がある。

具体的な痛みは、おのおのの個体に宿るものだけれど、その痛みを知ったという当事者性が、わたしと誰かをつないでくれる。

だから肉体的にも精神的にも痛いのはつらいし、避けたいものだけれど、たぶん人間にとって、とっても大切な感覚なんだ。痛みを媒介として、他者と交信できるから。

痛みが見知らぬ誰かへの共感力となって、やがては世界への愛に変換されるから。

なんてね、くっさいかもだけれど、今わたしはそう信じている。

そうじゃなきゃ、ずっと悲しみに明け暮れているか、「なぜだあああ!!!」という嘆きや怒りからちっとも抜け出せない。

喪失感は消えない。虚しさもなくならない。穴だって埋まってない。悲しさもまだやって来る。怒りもときどき襲ってくる。痛いぜーって思う。

でもきっと、ぜんぶ生きている証。

もがいてもがいて、かわってかわって、なんとか「今」を前に進めようとしている。毎日、あたらしい自分になろうって。

しかも本当のところ、身体としてのわたしは、じっさい毎瞬生まれ変わっている。わたしを形づくる細胞は、死んでは生まれてを繰り返し、数か月後には、ぜんぶ入れ替わっている。わたしを「わたし」と認識しているのは、脳のしわざでしかない。

だからもしかしたら、脳が「わたし」を解放しちゃったら、わたしがわたしである必要すらないのかもしれない。

それは別人になるというよりは、誰かと、見知らぬ他者とも一体になってしまうような、ひろがりそのものになるってこと。つまりは、愛だわね。

それでいてやっぱりひとりなの。

まじで落としどころなくなりましたけど。汗

痛みを媒介として、誰かにどこかに愛を還元していく。

ここまで書いてきたら、使命らしきものが見えたよ。

そしてこれが、現在進行中のわたしのグリーフケアでもあったりする。

いいじゃん。

毎日、あたらしい自分になるよ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?