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ワイドショーってなんであんなに卒業アルバムを載せたがるの?

最近、怖いニュースをよく目にする。
前よりも、時間が余るようにあるのでニュースを見る機会が増えたからね。

「近年、凶悪な犯罪が増えている!」とか
そんなことに触れるつもりはなくて。

そんな風にテレビ番組を見ていると思うことがある。
「なんでこんなに容疑者の人生について触れるのだろう」

どこの生まれで、何をして育って、家族はどうで……と細かく説明して
議論をしている。

事件当時では、すでに20代超えているのに
なぜか卒業アルバムの写真を使っていることとかもあるよね。

「こんなこと、話し合ってどうするんだろう?」
「そんな説明しないで、パンダのニュース見せてくれ~」と心の中で思う。
(だからといって、パンダのニュース、流れたら「本当に内容がないニュースだった……」 と文句を言うタイプかもしれません。すみません。)

その疑問に対して、ピンとくる回答を、ある本から見つけた。

それは、奥田英朗さんのミステリ小説「罪の轍」から。

男児誘拐事件を題材に、それを追う刑事、家族、そして逃げる犯人とその周りを描いている犯罪・捜査小説。

奥田さんの作品は、出てくる人物がとっても生き生きしている。人間味があって可愛いので好き。

ただ、この作品は扱っている事件があまりにも、シリアスなので、その「人間らしさ」が非常に生々しく、時に読んでいる側さえも苦しくさせる。

その小説の終盤、犯人が捕まった後の社会の反応を描くシーン。

そこでは、各新聞が、犯人の子供時代を掘り返し、どのようにしてその異常な人格が形成されたのかを特集している。

まさに、今のワイドショーのような感じ。そして続いて以下のように綴られている。

“鬼畜の所業を目の当たりにしたとき、何か理由を見つけないと、人は不安で仕方ないのだ”

「罪の轍」奥田英朗

これを読んだとき、ハッとした。

そうか、そうやって残虐性に理由を見つけないと
自分たちの暮らしの安全が担保されないのか。

人は、人間同士で共同生活を送っている。
どんな人かわからない人たちとも、共に働き、隣の部屋・家で暮らし
ご飯を食べ、日々の生活を送っている。

だからこそ、世の中で起きている事件は、特別なもので、理由がある。
自分の周りでは起こり得ない。と思いたい。

そういうある種の自己防衛本能なものが働いているのかもしれない。

そう考えると、引っ越しの挨拶って大事なのかもって思った。そんな話。

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