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路上生活が情けないと誰が言ったよ

自分の過去とは単なる自分の周りで起こったことのひとつひとつであって、シンプルに今の自分につながっているだけだ。

実績があるんだとか、コレコレを成し遂げたんだとか、人から見ればすごいことなのかもしれないけど、自分が自分に誇ることではない。
「自分なんてこれっぽっちの人間なんだ」
という小さい気持ちを持っている方が楽チンなんじゃないかと考えた。





今、仕事がなくって困っているひとがたくさんいる。僕も実はそのひとりである。
6月からは仕事が始まりはするのだけど、ずっとおやすみが続いていて短期で仕事をしようとしたのだが、単発の仕事はもうほとんど募集がなく、おそらく僕が考えるに、飲食業などで仕事を失った方がとりあえずという形で、みんな単発の仕事をしているのではないかと。

ウーバーイーツなんかもそうだな。みんな仕事がなくなってしまったものだから、とりあえず仕事をはじめようとしてやっているのだと思う。なんとなく感じるのが、「でもそれってさすがに限界があるだろう」ということ。

食いつなぐことはできても、それをずっとやっていくことはできないだろうし、このままやりたいひとや、同じような職が増えてしまうとそれこそ職はまたなくなってしまう。そうなるだろうなと、図々しくも見ている。


僕なんかウーバーイーツもやらないような臆病者だったりするんだが、あーやってできることをサクサクやるひとって偉いなと思うのと同時に、「もっとなんとかならんのか」「もっと助けてくれる友人はいないのか」とも思ったりするのだ。



たぶん大げさなニュースを報道しているのかもしれないけど、路上で生活して炊き出しで食事をもらったりして、「仕事がない仕事がない」と言っているひとがいた。

もうちょっとなんとかなるような気がするんだよな。


1ヶ月〜長くて3ヶ月でも泊めてくれるひとだっているだろうに。自宅に部屋が余っている友人だっているだろうに。
どんな雑用だろうが、犬の散歩だろうが、部屋の掃除だとか、引越しの手伝いだとか、やれることもあるだろうに。やらせてくれるひと、やってくれたら助かるひとだっているだろうに。

何も政治ばかりが悪いのではなくって、個人レベルで助けられるコトやモノってあるんじゃないかって思う。
その辺のお店で買う食事は材料費と一緒に、人件費だの建物を維持するための費用が含まれている。


友人の家の食事に材料代と+で気持ちくらい添えたら、うんと安い食事ができるんじゃないか。

抵抗なく自分の服と一緒に洗えるひとがいるなら、一緒にコインランドリーにでも行けばいい。

毎日1万円稼いでいるひとがいるとする。ちょっとだけ自分は休憩して7千円分の仕事をする。残りの3千円分の仕事をお任せすることだってできるのかもしれない。1日3千円ももらえたら本当に助かる。(もちろん減る方はちょっと困るんだけど)

服だってそうだ。毎日毎日所有している服を、ぜーーーんぶ一度に着るなんてことはない。今日はこれ、明日はこれ。明後日はこれ。そうやってローテーションしているだろ。誰かが使ったような服って、衛生的にもどうかと思うが、体型がほとんど一緒であるなら一緒に使うことだって可能っちゃ可能だろう。(そこまで困っているなら)





みんながみんな困っているんだから、政府がどうにかしないとみんなが困っちゃう。
あー困った困った。どうしようどうしよう。




ではなくって。

本当に困っているのであるなら。誰かの親切や助け手を、「ワラをも掴む思い」ってやつで掴んでみたらどうなんだろうか?


何も人間、お金持ちにならなきゃ生きてはいけないなんてことはないわけだし、路上生活者になったら死んでしまっても差し支えないというわけでも全くない。

収入が落ちたら情けないのか?
高価なモノが買えないと自分ではないのか?
家賃が高い場所ってそこまで重要なのか?
毎日服は着替えないといけないの?
靴は何足も持っているのが当たり前?
いつまで美食家でいるつもりなんだろう?
極限の節約をしてまでして生活なんてと、いつまで思っているの?
自分を職業で語らないと価値がないと思っているのか?
高級ブランド、高級スーツ、がステータスなの?
命を保つ以外に自分を楽しませることを、いつまで続ける?



そんなのは、いずれ価値がなくなってしまうものだろう。
みんなが「いいね!」とグッドボタンを押している瞬間だけだ。

今生きることに諦めてしまうよりも。
あと3年、5年、10年経った時、質素な生活をしていたとしても、誰と向かい合って、麦ご飯と納豆とお味噌汁を食べているか考えた方が、なんとも希望が持てるんじゃないかと、そう思った。



相棒が元気をくれると思うんだ。



良い友達と相棒に感謝だな、これからの僕は。

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