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弱者の気持ちを考える

物事を考えるときに、自分の事はよく考えられますよね。
友達のこともよく考えられます。家族の事もそうですね。
職場の方の事はどうですかね?ちょっと微妙でしょうか…

そう。
ここで言う「物事」とは、何か新しいことや、変えていこうと思っている事などを考える時です。


こうすると楽しいかな?便利かな?役立てるかな?効率が良いかな?


なんていうときです。

そういう時ってだいたいが、平面で考えています。
平面というのは、自分が地面に立っているとすると、同じ地面に立っているひとの事だけを考える傾向があるという事です。
2階や3階、そして地下にいるひとの事は考えにくいのです。

これは、僕の中だけの例えですが、それはつまり立場を表しています。
自分を地面に(1階)に立たせて、それを基準に自分と同じくらいの立場だろうか?とか、このひとは敬意を払うべきひとだなこのひとは弱い立場だな、と、考えます。(弱い立場だからと、敬意を払わないとかそういうわけではありません)


会社にいると、ビルの中の違う階、もしくは違う部署にいる方はわからないということがあります。
(僕はそういうところで働いた経験が無いので、この話はほとんど想像ですが…)

例えば、自分よりも歳上の方、先輩、社長、兄、姉、その他…は立場が上になります。年下でも「敬意を抱きたい」と思えばここに入るでしょうか。
2階でも3階でも構いません、そこにいてもらいましょう。

では、地下はどうなんでしょうか?
自分から見て立場が低いというのは、職場の後輩だったり、年下や弟、妹、学生、こども、病気の方とか、ですかね。僕に対して何らかの敬意を払ってくれたり、頼ってくれる方の事です。


え。
なんで弱い立場のひとを地下に入れちゃうの?と思いますけど、これは例えの話なので、ちょっと薄暗くてジメジメしていますが、そこに入ってもらいましょう。

そう。この例えは「考え方」についてなのを忘れてはいけません。

何で立場の低い方を地下に入らせたのか?
自分のいるところやそこから上は、用事もあるので行ったり来たりして意識しやすいですが、地下にはあんまり用事はありません。(と、考えます)
酷い話ではありますが、考えの中で見えていない部分というのは、意識していない場合があるのです。

そう、そのことを踏まえて物事を考えると、僕の経験上で「地下の事はそっちのけで色々考えてしまう」なんて事があります。
僕も最近まで気づかなかったのですが、いろいろな事の利便性を考えた時に、友人と話していて気づきました。

意外と、弱い立場のひとの事なんて考えていないのが、悲しい事にほとんどなんですよね。


そうなんです。
利便性などの話は弱い立場の方について話すべきなのですが、気づけば自分の事ばかり考えています。
見えるものや事を考えるなんて、言ってみれば簡単な事なんです。
見えない所で、「実は困っているひとがいるんじゃないか?」と考えられるかどうかがアイデアだし、「良いこと考えた!」って言葉があるんですよね!

それに気づいた時に、「自分ばかりが良い思いをしているのは、あんまり良いアイデアじゃないなぁ」と感じました。

そして僕自身、弱者の気持ちを考えるのが苦手なんだなと再確認しました。
考え方を成長させる事も必要ですね。


自分ばかりじゃ面白くないと考えよう、これからの僕は。

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