「陰」あなたのままでいれるように「陽」
▽善悪の立ち位置(観測位置)をみつけに
あなたは今日輝いていましたか?
あなたは今、輝く明日を描けていますか?
あなたはあなたの物語を創る芸術家でいれてますか?
もしも、あなたが他人の作った「正しい」とか「間違っている」とかに支配されて、あなたの物語を創れないとしたら私は悲しい。
だから、深く、
深く、
深く深く
もっと深くまで
一緒に潜ってみよう。
善悪の海へ。
そこであなたの立ち位置(観測位置)をみつけるんだ。
▽物語に支配される
人は物語に支配されている。
そのように考えたことはありますか?
難しい政治情勢や世界情勢、歴史、思想、科学。
そういったものも漫画やドラマ、映画やゲームに組み込まれれば多くの人が理解できます。
進撃の巨人なんてその最たる例でしょう。
しかし、これを逆に言えば、
「多くの人々は物語がなければ物事を理解できない」、
ということになります。
これが物語に支配されている、ということです。
それまでの流れや雰囲気、経験、連続した時間経過。
第二次世界大戦時、多くの物語が大衆の戦争への先導に使われました。
大戦後、多くの物語が大衆の平和への先導に使われました。
さて、それでは
物語は善?
それとも悪?
物語に洗脳されたあなたは善? それとも悪?
物語に…流れや雰囲気、経験、連続した時間経過に乗れないのは?
物語に溢れた世界で人は自らの立ち位置を見失いはしないだろうか?
だから、自分探しなどを始めるのではないのか?
探したりせずとも、「あなた」はずっと「あなた」であるはずなのに。
物語に先導された平和。それを壊そうとした彼は善?悪?
あなたは今、何処にいますか?
私は今、何処にいるのだろう?
▽陰陽(引用)
この世界では何かが存るというとき、反対の何かもなくてはならない、という法則が存在します。
ですから、正しくあろうとする時点で、正義であろうとする時点で、悪も存在してしまうのです。
私を善として、違うものを悪としなくては人は前に進むことができないのです。
ではどうすればいいのでしょうか?
人は争いから逃れることはできないのでしょうか?
そもそも、争いとは悪なのでしょうか?
▽無意識のみの世界
争いがない世界を創るにはどうすればよいでしょうか。
一番簡易的な方法を考えました。
人々が極めて文化的になる、ことです。
争いは人々の生存本能=暴力性から発生しています。
より簡易的に人々をそこから卒業させて文化的する方法を考えた時、生存本能を劣化させること、こそが最適な手段と言えるでしょう。
社会を発展させ人々が簡単に衣食住を満たせること。
人々の間に個という概念を曖昧にさせて個体間の違いをなくすこと。
しかし、生存本能は劣化しているため人類という種が衰退していく可能性があります。
また、多様性がなくなり皆同じ行動をするために種としての環境への適応度が下がります。
それが太古の時代に起こったのです。
つまり、平和を成すために生存本能と個体間の違いを完全に失くし、「私」と「あなた」の境目がなくなったのです。
言い換えると、人類の左脳が極端に劣化して自我や超自我が機能しなくなり「個」という概念がなくなった、無意識のみの存在となったのです。
とある島で猿の進化が起きました。そうすると全く別の地域でも同様の進化が猿の中に起きました。
無意識というものは繋がっているのです。
そのような無意識だけの状態となったとき、生物は単一生物、個体間の境目がない状態といえます。
以下はデマとされていますが主張としてはまったく間違っていません。
この状態をエデンと呼びます。
そこでは全ての存在がエネルギー体です。
そもそも、個である状態での五感への刺激は全て感覚器官と脳が自我を守るためにあらゆる周波数を制限している状態のものです。
それらの軛がなくなれば、全ての事象はエネルギー体でしかないことは想像に難くないでしょう。
あなたは夢の中で手が無数に生えた存在や、全身が乳房である存在を見たことがありますか?
こんなのとか。
こんなのとか
そしてこんなのとか
それらは夢の中で見たただの幻などではありません。
左脳が鎮まり無意識のみの世界に近づいた中で、そこに本当に存在している神と呼ばれるモノ、エネルギー体に出会ったのです。
ユングはそれをグレートマザーやアニムス、シャドーなどと呼びました。
彼らは実際に無意識の世界に存在して人々の活動に干渉しているのです。
それらを知っていたのがグノーシス主義者たちでした。
故に自らの内側を深く、深く、探求し本当の神と繋がろうとしたのです。
そのような無意識の中の存在で人間にとって特に主要なのが
地母神、ニンフルサグ=女媧
風神、エンリル=伏羲、神農炎帝
雷神、エンキ=黄帝
地母神と雷神は代が変わり現在はイナンナとマルドゥクです。
イナンナとマルドゥクは敵対関係であり、人間の争いは国家間、民族間、個人間に関わらず、多くの場合が無意識世界からのイナンナとマルドゥクの争いから生じているのです。
▽エンリル、エンキ、ニンフルサグ
地母神は社会を形成します。
愛する人間たちからできる限りの危険を遠ざけるためです。社会の中であらゆることが済まされるようになり、教育によって社会の外側の世界があることをわからなくさせることで人々を守るのです。
雷神は進むこと、得ることの概念を植え付けます。
進み続けなければならない、
進まなければ終わっていく、
進まないものに価値はない、
何かを得なければ人生に価値はない。
その反対も実は同じです。
余計なものは所有していてはならない、
精神が重くなり進むことができない。
削げ、捨てろ、忘れろ節制に励め。
これらが雷神の機能です。
風神エンリルは何も言わず見守ります。
愛しているからです。
あなたは何が正しいと思いますか?
何が間違っていると思いますか?
守ることは悪ですか?
少なくとも違いますよね。
進むことは悪ですか?
少なくともそうではないですよね。
見守る強さは悪ですか?
そのようなことはないと思いたいです。
ようはバランスです。
善悪の中で
愛と支配の中で
前身と後退の中で
見守るだけの強さと弱さの中で
それぞれがそれぞれの位置に立ち、
それが個性となり、
多様性へと繋がるのです。
中庸であることです。
多様性という言葉が広まり多くの方が「違う」という現象で苦しんでいることと思います。
私もその一人です。
しかし、それこそが意識のある、個体として存在している意味なのです。
様々な価値観の中で「違う」に苦しみ、もがき、あがき、それでも「私」であろうと奮闘するあなたは次の世界の神話で「タケミナカタ」として表されるでしょう。
あなたはこれまでずっとあなただったし、これからもずっとあなただから。
何を得ても、何を失っても、何かを持たないとしても。
あなたが弱さに苛まれても。
むしろ弱さを知っているあなただから。
ニンゲンのみなさん
絶え間なくゆらぎ、回り続ける善悪(多様性)。
それを観測するためのそれぞれの立ち位置、
それこそが「私」なのです。
「私」とは探すものでなく、ずっとそこにいるのです。
さぁ、「あなた」のままで
もう一度あの頃のように輝くのです。
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