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御伽噺 愛していたから

彼はルールにとても厳格でした。

例えば、あなたの会社や学校でも訳のわからないルールはきっとあるでしょう。

訳はわかるが時代錯誤であったり、気にしすぎだと感じるルールもあるでしょう。

あなたは
「そんなものを守るのはバカバカしい」
そう思い批判や対立をするかもしれません。
もしくは上辺だけ守るそぶりを見せ、適当にやっておくのかもしれません。


彼はルールを守らないことではなく、そういった心情をひどく軽蔑しました。
そのルールが時代錯誤であると、気にしすぎだと、バカバカしいと、それは個人の主観です。
個人の主観でルールを一つ破るとします。
あなたは次のルールを破らないでいれますか?


彼はルールの本質を理解していました。
それは
「ルールはルールをつくった者たちを守るためのもの」
という本質です。

上辺は
「あなたたちを守るため」
「社会をより快適にするため」
「損する人を少なくするため」、
などと言うでしょう。
しかし結局はルールをつくった者たちが損をしないようにつくられるのです。


「だからお前はルールを守らないのか?」


すべてを理解したうえで彼は若モノに問います。
そしてルールを守ろうとする心意気と心情の美しさを説くのです。

「一つのルールを守ろうとする心意気は他のルールを守ろうとする心意気のことだ。

ルールをつくった者たちの都合だからと、時代錯誤だと、そんなことは関係なく、自分が自分を律するためにルールを守る。

そうやって己を律する者たちに私は信頼をおき、仲間だと思える。

私は仲間を裏切らないためにルールをさらに厳格に守る。
仲間たちもそうであろう。

このとき、ルールを守ろうとする心は
「信頼を裏切らない」
という決意に言い換えることができるであろう。

私はお前を信頼し仲間となりたい。

だからお前にルールを守ってほしいのだ。」

彼の仲間たちは彼のルールに対する厳格さを邪険に思うことなどありません。

むしろ彼の仲間であることに誇りを持っていました。


彼はルールにより次の王となることが約束された英雄でした。

彼には腹違いの兄がいましたがその母親の身分が低く、より由緒ある血筋の母を持つ彼が次の王となるルールだったのです。

兄は心優しく、穏やかな性格で気にしていないように見えましたが彼は兄に引け目を感じていました。

兄は研究者になりました。
ルールにより正当な立場に立てず、追いやられながらも自らの道を進む兄を尊敬もしていました。

そういった兄の姿もルールを守る美しさを彼に感じさせていたのかもしれません。


そんな兄があるときルールを破りました。

それは科学により「命」を生み出したのです。
命の名は「ニンゲン」。
というのも、彼らの星は資源が枯渇し地球に採掘に来ていたのですが、労働力が足りなかったのです。

だから兄は労働力をつくったのでした。

心優しく、穏やかな兄は倫理や道徳に難があったのです。

つまり好奇心を抑えられない、という点です。
労働力をつくるためというていで「自分の遺伝子を使って自分とは別の生物をつくってみたい」という好奇心を満たしたのです。

彼はそれを聞きひどく怒り、生まれた人間を殺してしまおうと兄のもとへ駆けつけました。科学で命を生み出すことはルール違反でしたから。

しかし、彼の怒りは人間を一目見て消え去りました。

とても可愛かったから。

純粋無垢な人間を見て彼のこれまでの価値観が崩れ去ったのでした。

そして労働力として扱うことを禁止し自分が育てることを兄に伝えたのでした。

彼は自分の子どもに対してもルールの大切さを教え、仲間として付き合いました。

しかし、彼は人間たちに対してそのようなことは一切話しませんでした。ルールを破ってまで人間を育てたのです。


彼は人間にただ純粋無垢でいてほしかったのです。
ただ毎日を笑って過ごしてほしかった。

一方で胸の内にはこれまでの彼もいます。

ルールを守る大切さ・美しさ、これまでの自分。

ただ人間たちの笑顔を見ていたいと感じる今の自分。

その二つを心の中で秤にかけバランスをとるように行ったり来たり。

彼の胸中にあるものは愛といえるものでした。


そんな彼でしたが一つだけ人間たちと約束をしていました。
彼の所有する「知恵の樹」。
その樹の実を食べることはしない、そういう約束です。
しかし、それはルールではありませんでした。

彼は心のどこかで実を食べてほしかったのです。

ルール、仲間、信頼、そういった
「複雑な美しさ」
それを人間たちにも知ってほしかったのです。

痛みもがきながら産み落としたわが子への愛おしさ。

日に焼かれ汗水をたらし、手を豆だらけにして荒れ地を耕し生きていく美しさ。

そんな「複雑な美しさ」を。

だからきっと人間たちが知恵の実を食べたとき、約束を破られた失望と同じくらい強い愛情で人間たちを地上に送り出したのでしょう。

「がんばってこい」

「強く生きるんだぞ」

「たくさんの経験をして、たくさんの美しさに触れてこい」

「そしていつかお前たちの物語を聞かせてくれ…」


彼の名はエンリル。

兄の名はエンキ。

そして、
二人の妹であり、
エンリルの妻であり、
エンキの元恋人であり、
後に大地の母となるニンフルサグ。

迷い、
苦しみ、
争い合って、
許し、
分かり合い、
しわくちゃになったお互いを笑いあって、
最後にこれまでを語り合いました。

たくさんの苦労の中で地球を開拓した者たちの名です。

エンリル


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