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呪縛開放③ 歴史という鎖

国籍や性別やあるいは肌の色や
様々な枠組みが私をつくっている

それはまるで まゆの様に
私を守る やわらかなよろい
それはまるで まゆの様に
私を包んで 育むもの

黒木渚 「骨」

昔、私がまだ中学生のころ先の大戦に関する授業で先生から

「私たちの祖先が周辺国に対して悪いことをした」
「私たちはそのことについて反省しなくてはならない」

そのように教えられました。

私はそれについて違和感を覚えました。

(たとえ、誰かに悪いことをしてしまっていたとしても家族である自分たちだけはその行いに理解を示してもいいんじゃないか?)
(なんで自分のお父さんやお母さん、おじいちゃんや、おばあちゃんが悪かったと誇らしげに語るの?)

大人になるにつれて「保守」や「革新」という派閥があることを知りました。

行き過ぎた民族主義によって会ったこともない人たち、ろくに関わったことのない人たちをまるで人間でないかのように罵る人たち。

行き過ぎた民族主義による反発でなんでもかんでも自国が悪かったと言う人たち。

歴史認識の違いがそうさせている。そう納得するのは簡単でした。
だから、上記のような人々を冷めた目で内心罵ることも簡単なことでした。

それから時間が経ち私は諏訪大社の御祭神である建御名方命に興味を持ちました。

自分の先祖とも関りがあったからです。

神話や古代史、その後の歴史や思想に触れる中で、自分は何も知らなかったんだな、とつくづく実感しました。

日本の古代史に関して大枠として全体像が判明してきている感はありますが、それでもまだまだわからないことは多いのが実情でしょう。

私は日本書紀や古事記(記紀)、それに付随する伝承や書物が暗号であると解釈して建御名方命について考察をしていきました。

記紀の内容は似たような出来事や名前が何度も繰り返し記述されているため、編纂者はそこに何かを伝えようとしていると考えたのです。

そうして紐解いていった暗号の解読結果は誰の歴史認識とも違う、私だけの歴史認識となりました。私だけの大切な価値観です。

そして、気がついたのです。

私がこれまで学んできたものは歴史ではなかった、ということです。

学校で学んだ歴史。これはただの〇×ゲームでした。

左右の主義主張。これはただの政治闘争でした。

歴史は本当はワクワクするものだと思うのです。

「私」を育むための繭のようなものだと思うのです。

あなたにとって、歴史とはなんですか?

歴史を学んでワクワクしたことはありますか?

学校や政治も大事ですが、そうじゃない歴史観をあなたが持っていて何がいけないのですか?

ビジネスでそんな認識は通用しないからといって、あなたは魂までビジネスに捧げてしまうのですか?

あなたはあなたがワクワクする歴史観を持っていてもいいのではないでしょうか?

何が正しいかなんて関係なくて、それに触れてあなたが何を感じたのかが大事だから。


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