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「裏」タケミナカタ神話「裏」⑩(伊和)善悪の彼岸(最終)

▽はじめに

 これまで見てくださった方、どうもありがとうございました。
 はじめてご覧になる方、どうもはじめまして。
 このシリーズはこれで終わりとなります。
 私がnoteに書き込むのもこれで最後になるでしょう。
 長い文章になりますがどうか最後までお付き合いください。

▽鬼子母神の神話

 昔、毘沙門天の妻にハーリーティーというモノがありました。彼女は多くの子を持っていました。その子らを育てるために栄養を必要とし、人を喰らっていたため恐れられていました。それを見たお釈迦様はハーリティーの子の一人をさらって隠してしまいました。彼女は酷く慌てて世界中を探し回り、半狂乱になりながらお釈迦様に縋りつきます。

 お釈迦様はいいました。
「これだけ多くの子どもがいる中の一人がいなくなってそこまで悲しんでいるが、たった一人の子をお前さんに喰われた父母たちはどんな思いだったろうな」
 「悔い改め、節制を心がければ子は戻ってくるだろう」

 ハーリティーはこれまでの自分の行いを悔い改め、仏法に帰依することを誓いました。
 今では鬼子母神として法華経を守り、安産と子どもの健康を見守っています。

ヤクシニー

▽これまでのまとめ

このシリーズを通してのタケミナカタとは何者かという答えですが、3層構造のスクナヒコナであるというように結論づけました。

1層はドラヴィダ人出雲王権の副王少彦(称号)であった事代主の子、建水方富彦命で洩矢神(守矢氏)にあたります。

2層目は第2次物部東征での敗残兵たちになります。主に磯城王朝の者たちですが、田道間守(当麻蹴速・安曇浜子)等の磯城王朝を攻撃した側とされる者たちも一部含まれます。これらは伊勢津彦神、天目一箇神等で表されるように、風神として象徴します。記紀における東に逃れた、派遣された系の物語のほとんどがこの層に当てはめられます。忌部を率いて一度阿波を経由して北陸や美濃、尾張、信濃等に分かれながら東へ向かいました。下社金刺氏がこの層の者たちになります。

3層目は上記の東征を行い(誘導し)追いやった者たちです。神門臣家(出雲主王家、大名持)=賀茂=蘇我氏の龍宮勢力で、さらには物部であり秦であり鴨であり中臣である者たちです。日本の歴史の要所要所でこの層の者たちが活動しています。この層は諏訪氏に神氏として入り込んでおり、雷神として象徴します。

この3層を合わせて少彦名命、ということであります。少彦名命、及びそれに類する小人の物語を見ていくとき、伝承によって性格がかなり異なるのはこういった背景があります。

この中の第2層の者たちをさらに深堀するために、宮下文書という古史古伝を覗いてみましょう。

富士山

▽宮下文書

▽宮下文書とは

宮下文書(みやしたもんじょ)とは、富士山の北麓、山梨県富士吉田市大明見(旧南都留郡明見村)にある北東本宮小室浅間神社(旧称・阿曽谷宮守神社)の宮司家だった宮下家に伝来した古記録古文書の総称。「富士宮下文書」「富士古文書」「富士古文献」、また相模国寒川神社に保管されていたと書かれていることから「寒川文書[1]寒川日記[2][3]などとも称される。

宮下文書 - Wikipedia

宮下文書は古史古伝と呼ばれる一般に偽書とされる類のものです。他の古史古伝とことなり過去に国単位で内容を精査させて全員で偽書認定したという代物です。その力の入れようから実際は真実がかなり含まれていたのではないか、と考える方もいます。
私の場合ですが、古史古伝を使わずに記紀および関連書物の暗号を紐解いていく中でそれが出雲口伝の内容と合致することを確認しました。そして、私の暗号解読と出雲口伝の合致した内容が宮下文書と重なり、さらには補填することを確認したため、記事で紹介させていただくことにしました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E6%B0%8F

▽宮下文書の内容

(注1、関連する内容のみ記させていただきます。興味のある方はご自身で調べてみてください。
 注2、文字数を減らすためにカッコ内に補足を入れていきます。純粋に内容を知りたい方はカッコ内を飛ばしてください。)

 紀元前220年ごろに蓬莱山を探して徐福が渡来しました。ここでの蓬莱山とは富士山で山麓の家基都(かきつ)に徐福の一団は移住し現地民たちに養蚕や鍛冶、効率的な農業方法を教えていったといいます。この徐福の子孫が代々編纂した歴史書が宮下文書になります。宮下文書においては富士山麓を中心とした地域を高天原としています。そこに武内宿祢がやってきたといいます。そして、そこでの生活や文化に感動し息子の名前を徐福の姓である秦からとって羽田矢代宿祢に改名させたといいます(武内宿祢の子に羽田八代宿祢がいるのは記紀でも書かれている内容です)。

 興味深い内容は多々あるのですが、一旦ウガヤフキアエズの段までとばさせていただきます。
 ウガヤフキアエズが生まれた頃、海外からの大群が日本に攻めてくるという情報が高天原に入ります。その防衛のために都を九州の筑紫にすることが決定されます(このことは出雲口伝における崇神天皇(イニエ)が宇佐神宮家の豊と同盟を組んで九州一帯に勢力を張ったことと同じと考えます)。この海外勢力との戦いで出雲系の勢力が大いに活躍しました。少彦名命の子孫、阿蘇武(アソタケル)も奮戦し、亡くなると阿蘇山に埋葬されました。阿蘇武は死後、健磐龍命(タケイワタツ)と呼ばれました(一般に健磐龍命は神八井耳命(カムヤイミミ・太氏(多氏、意富氏))の子孫と考えられ、出雲口伝において意富氏は少彦名命からの流れであるため、阿蘇武が少彦名命の子孫、というのは整合性がとれている)。

 この戦いに勝利してからウガヤフキアエズ王朝が始まります。51代続きました(実際は事績が少なく初代の皇后が玉依姫で、51代の皇后も玉依姫のことからみても長く見せているだけであると考える。このウガヤフキアエズ王朝とは出雲口伝において第2次物部東征を起こす崇神・豊の連合勢力と考える)。

 51代の王の時代に列島内では災害・飢餓が立て続けに起こっていたといいます。そんな中で国内で反乱を起こす者たちがいました。それが禍津亘理命(マガツワタリ)と真佐勝彦(まさかつひこ、別名:富明彦主)、そして、白木国(新羅)から郡司を呼びその総司令に長脛彦(ナガスネヒコ)を置いたといいます(ほかの古史古伝になってしまいますが、実はウエツフミでも長脛彦が新羅から軍を引き入れたとしています。このころは新羅の前身にあたる辰韓のことであると思われます。出雲口伝では長脛彦は出雲副王家(富家)の流れの大彦であります。彼は大の物部嫌いで子孫が北陸で阿部氏となっていました。同口伝では蘇我(私の考察で新羅王ヒボコの一族)は阿部氏と親密になり高志国から継体天皇を輩出させています。)

 ウガヤフキアエズ王朝のイツセと長脛彦の戦闘の際、長脛彦は自らの主君を「天照の玄孫で天別天之火明の遠孫にあたる富明彦主」であると叫びます。その証拠として天孫から引き受けた弓を見せるもののイツセは盗んだものだと主張します。そこで両者は「その弓が盗んだものでなければ放っても長脛彦にあたることはない」、という誓約をたてます。この誓約に長脛彦側の長男が受けてたちます。その弓で放たれた矢は長男にあたり亡くなります。結果、弓矢の打ち合いとなります。イツセも当時の王であった弥真都男も亡くなりました。その中で後を継いだのは磐余彦で全国から応援を頼みました。その応援には大国主やタケミナカタ、大物主、素戔嗚等々の子孫が参戦(これは出雲口伝における、垂仁天皇が田道間守の勢力を抑えるために出雲主王の野見宿禰に軍勢を要求したことと同じ)。
 その中の尾羽張明照彦雄命が禍津亘理命と富明彦主を倒します。長脛彦は曽我山に立てこもって最後まで応戦しますが、息子のウマシマジが裏切り長脛彦は自害したと言います。長脛彦の次男は南に逃げようとするも殺され、負けた軍勢は顔面に入れ墨を入れることで許されて解き放たれます。この後、長い間反乱軍との戦いがあったといいます。


徐福

▽宮下文書の考察

 出雲口伝における崇神天皇、豊連合が宮下文書におけるウガヤフキアエズ王朝ということになります。この連合成立の理由を、宮下文書では海外勢力に対する防衛のため、としていることになります。この連合勢力は短命で終わっているため、ウガヤフキアエズ王朝が51代続いている、というのは考えづらく、引き伸ばして記していると思われます。この勢力は出雲口伝では第二次物部東征で磯城王朝および広域出雲連合を滅ぼすのですが、そのことは宮下文書からは一切省かれています。災害や飢餓で済ましてしまっているのかもしれません。
 口伝ではイニエの跡を継いで東征を行ったイクメ(垂仁天皇)は磯城王朝を滅ぼして、新王朝を建てるのですが、人望がなく田道間守が王のように振舞ったといいます。そのためイクメは旧西出雲王家(主王、大名持の家、向家)に助けを求めます。旧西出雲王家の王、野見宿祢は自分たちを攻撃した田道間守を復讐のために攻撃、このことが記紀では野見宿祢と当麻蹴速の相撲で表されていて、敗れた田道間守は淡路島へ流されるのでした。この物語が記紀における安曇浜子の物語であり、田道間守=当麻蹴速=安曇浜子で第2層のタケミナカタに含まれることを下記の記事でお伝えしました。

 この田道間守が宮下文書における長脛彦です。長脛彦の子孫が南に逃れようとしたことは当麻蹴速=安曇浜子が淡路島へ流され(派遣され)たことと同義です。残存勢力が顔面に入れ墨を入れられて解き放たれる、というエピソードは安曇浜子に同じエピソードがあります。安曇氏の一部は阿波を拠点にしていたため、この勢力が忌部を率いて阿波を開拓し、続いて房総に向かった天富命でもあり阿波に諏訪元宮があるのはこのためです。この勢力の一部が諏訪まで入ってきます。彼らは大彦およびその息子、武渟川別命でもあり、日本海側と太平洋側で分かれていっているため、タケミナカタの諏訪入り伝承が北信にも南信にもあることも解決されます。また信濃に安曇氏、忌部氏、物部氏の痕跡があるのはこのためということです。

 そして、この田道間守は天日矛命を先祖としている人物でもあります。その系図から蘇我が出ていることも前回お伝えしました。そして、それが先代旧事本紀における物部多遅摩(もののべたじま)の系図と似ていることから田道間守は蘇我氏でもあり、物部氏でもあり、宮下文書で長脛彦(田道間守)が曽我山に引きこもったこととも繋がるのです。最終的にウマシマジに裏切られて自害して、この後ウマシマジが武内宿祢(蘇我氏)として活動していくのです。
 ですから、田道間守を本来の蘇我氏(武内宿禰)とするのであれば、第2層のタケミナカタ=武内宿禰と結ぶことができます。これを私はずっとお伝えしてきたわけです。

しかし、この第2層のタケミナカタはなぜ頑なに様々な勢力と敵対し、主君が敗れた後でさえも抵抗していたのでしょうか。そんなことに触れてみましょう。

▽女神たちの苦悩


 第2層のタケミナカタの一部、安曇浜子。

 履中天皇が黒媛を后にしようとした際に派遣された住吉仲皇子ですが、自分が履中天皇だと偽って黒媛と姦通してしまいます。ばれるのを恐れた住吉仲皇子は乱をお越し、これに協力したのが安曇浜子でした。結果は上記で触れた通りに敗れ、顔に入れ墨を入れることで許され、後に淡路に派遣されるのです。
 黒媛は奴奈川姫、もしくはその母の別名でもあります。この姦通された黒媛は高志国の姫君であるということです。前回の記事でこの女王の血をタケムナカタと称することにしました。安曇浜子の物語が宮下文書における長脛彦の物語としたとき、タケムナカタを守るための戦いであったと考えることができます。

逆算し、俯瞰して考えてみましょう。

タケムナカタの血が「どのように使われて、その後にどう使われる」、か。

徐福の一団の最初の渡来では徐福に嫁入りさせる、という出雲王朝の外交に使われました。

磯城王朝下でも大王家の妻や教育係になってきました。

イニエ・豊連合では海外に対抗するため、または東征の際の信仰の象徴として利用されました。

東征後の大和では真っ先に追いやられていき、神功皇后の直系の子孫が亡くなると子を養子にとられます。神功皇后自身もこのタケムナカタであり、自ら朝鮮半島へ戦争を仕掛けにいくのです。

タケムナカタがずっと政治や争いの道具にされてきたことがわかるでしょう。
それから守ろうとしていたのが第2層のタケミナカタだったと考えるのです。
下社の八坂刀売命こそタケムナカタといえるでしょう。
神仏習合の際、本宮の本地仏が女人救済の普賢菩薩であったのも偶然ではないでしょう。ちゃんとわかっている者たちがその位置づけにしたのです。
そのように考えたとき、過去の諏訪大社の信仰体系に一つの考察をいれることができます。
タケミナカタの子孫の童子を御室に閉じ込めてソソウ神とミシャグジの子を神降ろす儀式。
ミシャグジは岐ノ神、ソソウ神は佐毘女神、その子は猿田彦であり、これは出雲王家の神聖な儀式であり、特に蘇我(神門臣家)には不可侵な領域です。
その不可侵の領域にタケムナカタの女子を男子と偽って御室に閉じ込めておく、というのが儀式の始まりと考えます。
つまり、元々は女神の子孫を守る(血の保存)ための儀式であったと考えます。

では、そもそもこのタケムナカタとはどういった女性たちであったのでしょうか?

猿田彦

▽「姬」地母神の一族「キ」

阿加流比売は新羅のアグヌマで眠っていた女性と日光の子どもです。タケムナカタの1柱になります。
こういった形態の神話は東アジアを中心にいくつか存在します。
玉依姫の物語もその一つでした。
意富加羅国、これは意富(おお)からわかるように出雲王家の国であったと考えられ、その王族が都怒我阿羅斯等でした。このことからもわかることは、当時の朝鮮半島は列島とかなりの範囲で文化や血の交わりがあり、今現在のような日本人、朝鮮人、という括りを設けるべきではないと考えます。

 その上で、金官伽耶という国の初代王、首露王という人物がいます。この人物は天から落ちてきた金色の卵から生まれたという人物で阿加流比売の母と同じ神話形態にあります。この神話形態にあたる者たちは全て同じ先祖を持つと考えます。首露王の妃が許黄玉。インドのアヨーディヤーの子であるという説があり、事実、黄玉の子孫とされる人物の古墳の遺骨からインド南方系のDNAが確認されています。金官伽耶の王族の流れである金庾信(きむゆしん)は黄帝の子、少昊の子孫とされます。黄帝は雷神とされ、姓は「姬」となります。神農炎帝の子孫、蚩尤を倒し帝となりました。彼の子孫が夏、殷、周、秦の建国に関わっていくとされます。この雷神の黄帝が阿加流比売の始祖で姓を「姬」と考えます。


黄帝

黄帝は中国神話の三皇五帝の内の五帝の一人です。
そして、三皇が伏羲、女媧、神農炎帝です。

女媧と伏羲



神農炎帝



伏羲と女媧の姓は「風」。兄弟であり夫婦でもあります。大洪水の生き残りであり、女媧が泥をこねて人間をつくったといいます。この二人の姓である風を継いだのが神農炎帝でした。

神農炎帝は宮下文書において少彦名とされます。
その子孫の蚩尤は兵主神と一般的に解釈されます。
この時、諏訪旧蹟詩に書かれる建御名方神についての記述が解決します。

建御名方神 亦の名を南方富命、亦御穂須々美命、亦兵主神、亦出雲建、亦出雲建男、亦伊勢津彦神と称す

南方富命と兵主神は第一層のタケミナカタ、
御穂須々美命は大国主(出雲口伝では事代主)奴奈川姫の子であるタケムナカタ、
出雲建、出雲建男、伊勢津彦神は各風土記の記載を照らし合わせたときに同じ存在であり、第二層のタケミナカタであります。


蚩尤

姬は地母神女媧の流れも含みます。殷の時代、黄帝の子孫が神農の子孫、姜姓の者たちを使って人身御供の儀式を行っていました。ここで交わっているのです。飯縄権現および稲荷権現の大本、ダキーニーは人を喰う魔女でドラヴィダ人の一派が信仰していたといいます。戸隠信仰の発端は飯縄山であり、戸隠の九頭竜も元をたどれば同じ話と考えます。そして八岐大蛇も八岐に首が分かれているということは九本の首を持っており九頭竜でと考えます。九頭竜は伊弉冉の化身とも菊理媛命(白山権現)ともされます。
 九頭竜は俗世では健磐龍命である、という伝承があり、疫病の原因でもある鬼を食べて退治したという伝承もあります。
これらは医療の神で富家(出雲服王家、事代主の子孫)の始祖、少彦名へと繋がります。
 神農炎帝=少彦名は風姓で女媧と繋がり、出雲王家が祀る佐毘女は地母神、女媧(ダキーニ=九頭竜=八岐大蛇=伊奘冉)。
 それを祀るのが「姬」(タケムナカタ)であり黄帝の子孫により人身御供の信仰スタイルにされたということです。

 この流れに鬼子母神も入ります。彼女は釈迦に諭されて人を喰うのをやめて法華経の守護者になりました。ここでの釈迦は物部守屋に相当するでしょう。そうであれば、本来地母神は既に改心していて人身御供を求めていないことになるのですが、現在の諏訪大社では見方によっては人身御供を行っているといえる状況になってしまっています。


▽善悪とは

ここまで見てくださった方々に問いたいことがあります。

それは、善悪とはなんなのでしょうか?ということです。

徐福一族を引き入れて、様々な勢力を利用してでも国を存続させ続けた神門臣家。
彼らは善?悪?

利用されるために引き入れられ列島内に争いを生み出したものの一部の者は協調し互いに国を発展させてきた徐福の一団。
彼らは善?悪?

女神の血筋を守るために最後まで戦ったとはいえ、争いを長期化させて無用な血も流れた田道間守たちの勢力。
彼らは善?悪?

政治的に利用されてきた、そういう文化であった、人々の総意だったとはいえ長きの間大地に血を与え続けた女神達及びその神官達。
彼らは善?悪?

国をまとめるために悪役を演じて仏教導入に協力し、自らの身体で地母神とその人身御供を封じた物部守屋。一方で人の傲慢さで自然をコントロールしようとした、ともいえ、またプロレスの戦いとはいえ何も知らずに亡くなった方もいたでしょう。
彼は善?悪?

簡単に線引きすることなどできないとあなたは言うでしょうか?
私もそう思います。
この世界では何かが存るというとき、反対の何かもなくてはならない、という法則が存在します。

ですから、正しくあろうとする時点で、正義であろうとする時点で、悪も存在してしまうのです。
私を善として、違うものを悪としなくては人は前に進むことができないのです。

ではどうすればいいのでしょうか?
人は争いから逃れることはできないのでしょうか?
そもそも、争いとは悪なのでしょうか?

▽無意識のみの世界


争いがない世界を創るにはどうすればよいでしょうか。
一番簡易的な方法を考えました。

人々が極めて文化的になる、ことです。

争いは人々の生存本能=暴力性から発生しています。
より簡易的に人々をそこから卒業させて文化的する方法を考えた時、生存本能を劣化させること、こそが最適な手段と言えるでしょう。
社会を発展させ人々が簡単に衣食住を満たせること。
人々の間に個という概念を曖昧にさせて個体間の違いをなくすこと。

しかし、生存本能は劣化しているため人類という種が衰退していく可能性があります。
また、多様性がなくなり皆同じ行動をするために種としての環境への適応度が下がります。

それが太古の時代に起こったのです。

つまり、平和を成すために生存本能と個体間の違いを完全に失くし、「私」と「あなた」の境目がなくなったのです。
言い換えると、人類の左脳が極端に劣化して自我や超自我が機能しなくなり「個」という概念がなくなった、無意識のみの存在となったのです。

とある島で猿の進化が起きました。そうすると全く別の地域でも同様の進化が猿の中に起きました。
無意識というものは繋がっているのです。
そのような無意識だけの状態となったとき、生物は単一生物、個体間の境目がない状態といえます。
以下はデマとされていますが主張としてはまったく間違っていません。

この状態をエデンと呼びます。
そこでは全ての存在がエネルギー体です。
そもそも、個である状態での五感への刺激は全て感覚器官と脳が自我を守るためにあらゆる周波数を制限している状態のものです。

それらの軛がなくなれば、全ての事象はエネルギー体でしかないことは想像に難くないでしょう。

あなたは夢の中で手が無数に生えた存在や、全身が乳房である存在を見たことがありますか?

こんなのとか。

こんなのとか

そしてこんなのとか

それらは夢の中で見たただの幻などではありません。
左脳が鎮まり無意識のみの世界に近づいた中で、そこに本当に存在している神と呼ばれるモノ、エネルギー体に出会ったのです

ユングはそれをグレートマザーやアニムス、シャドーなどと呼びました。

彼らは実際に無意識の世界に存在して人々の活動に干渉しているのです。
それらを知っていたのがグノーシス主義者たちでした。
故に自らの内側を深く、深く、探求し本当の神と繋がろうとしたのです。

そのような無意識の中の存在で人間にとって特に主要なのが

地母神、ニンフルサグ=女媧
風神、エンリル=伏羲、神農炎帝
雷神、エンキ=黄帝

地母神と雷神は代が変わり現在はイナンナとマルドゥクです。

イナンナとマルドゥクは敵対関係であり、人間の争いは国家間、民族間、個人間に関わらず、多くの場合が無意識世界からのイナンナとマルドゥクの争いから生じているのです。

イナンナ


マルドゥク

▽エンリル、エンキ、ニンフルサグ


地母神は社会を形成します。
愛する人間たちからできる限りの危険を遠ざけるためです。社会の中であらゆることが済まされるようになり、教育によって社会の外側の世界があることをわからなくさせることで人々を守るのです。

岩窟の聖母



雷神は進むこと、得ることの概念を植え付けます。
進み続けなければならない、
進まなければ終わっていく、
進まないものに価値はない、
何かを得なければ人生に価値はない。
その反対も実は同じです。
余計なものは所有していてはならない、
精神が重くなり進むことができない。
削げ、捨てろ、忘れろ
節制に励め
これらが雷神の機能です

Salvator Mundi


風神エンリルは何も言わず見守ります。
愛しているからです。

▽総括


あなたは何が正しいと思いますか?
何が間違っていると思いますか?

守ることは悪ですか?
少なくとも違いますよね。

進むことは悪ですか?
少なくともそうではないですよね。

見守る強さは悪ですか?
そのようなことはないと思いたいです。

ようはバランスです。
善悪の中で
愛と支配の中で
前身と後退の中で
見守るだけの強さと弱さの中で

それぞれがそれぞれの位置に立ち、
それが個性となり、
多様性へと繋がるのです。

中庸であることです。

多様性という言葉が広まり多くの方が「違う」という現象で苦しんでいることと思います。
私もその一人です。
しかし、それこそが意識のある、個体として存在している意味なのです。
様々な価値観の中で「違う」に苦しみ、もがき、あがき、それでも「私」であろうと奮闘するあなたは次の世界の神話で「タケミナカタ」として表されるでしょう。

その神話はバラバラに散りばめられて暗号化されて、また誰かが解読するために世界へ旅立つのです。

あなたはそのための絵の具
そのための音符
そのための地図
そのための欠片
そのための点
そのための線


美しい物語を残せるように、あなたも美しい個体であろうと努めるのです。

そのための情念
そのための武士道
そのための詫びと寂び
そのための瞑想と祈り
そのための悟り


それではタケミナカタのみなさん、

いってらっしゃい

またね。


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