帛門臣昂(きぬかど おみたか)@kinukadoomitaka

分母、詩。「現代詩手帖」「日本現代詩人会」「詩と思想」などで入選佳作多数。 散文の発表…

帛門臣昂(きぬかど おみたか)@kinukadoomitaka

分母、詩。「現代詩手帖」「日本現代詩人会」「詩と思想」などで入選佳作多数。 散文の発表場所を求めてここへ。かなり雑多に記事を書いています。 ✉️ご依頼・ご相談はkinukadoomitaka(a)gmail.comへ

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【随時更新】自己紹介

帛門臣昂 詩人 ●活動・詩誌投稿 ・ネプリ個人詩誌「卵」を発行(終刊) ・「詩季句会」主宰 ・詩のアンソロジー『Poetic Parade』(発行人=原島里枝、帆場蔵人)に「窪、夢の野の、の、の」を寄稿 ・歌誌『帆 han』(主宰・中田満帆)初号に「たましひなりき(十五首)」、第二号に「鉄条網(二十首)」、第三号に「光れ、そのまま(二十首)」を寄稿 ・文学フリマ大阪11にて新作『九羅夏』を配布 ・小笠原鳥類・責任編集『Σ 詩ぐ魔 特別号』に「生成譚」を寄稿。 ・画家のNEK

    • 【朔 #165】猫が猫になるまで

       猫が猫になるまでの過程を試験管越しに見ていた。試験管の中で猫は猫になる。猫を取り出す鉗子が必要になる可能性があり、雨雲はなおも暮れようとして新開地で食べられる拉麺屋の炒飯のべちゃつきのように髭の垂れた猫、猫、猫。ゑのころ草はをのころ島? 知らない観覧車に乗る。巨大な観音像を海峡に沈めて、夕陽は上昇を始めた。八月の(八月や孔雀の声の凶々し/飯島晴子)狐の檻の時速如何。悪食を諾う始皇帝と、フランスに孤児院があって孤児の服からは、兜蟹の曳行だと思う泥亀か。

      • 【朔 #164】ぽわんと秋の匂い

         天の川だらだらと枝豆みたいな粒々。  つぶつぶ、ぶつぶつ、ど、独語、か、  金魚が、  ぽわんと秋の匂い。  ずっと蟷螂。  拒否すべき夜々の蟬に手向けた、剥けた、指、可能性と期待値と兜だ。兜蟹だ。晩年を選択して殿を拭う。がりがり。  (山国の蝶を荒しと思はずや/高浜虚子)  舌ピアス、なまぬるい。  平家物語が腐っている。

        • 【朔 #163】高尾

           八月三日、四日と寄席・喜楽館へ。トリはネタ出しで桂春蝶師匠の「死神」「高尾」。春蝶師匠は大好きな噺家の一人で、機会があれば必ずその芸に酔いに行く。よって今回も行ったわけだが、また別に常々観たいと思っていた「高尾」を演ると知って急いで席を確保した。「反魂香」という名前の方が馴染み深い方もいるかも知れない。雲田はるこ『昭和元禄落語心中』(講談社)で有楽亭八雲が演っているのを見て以来数年間、生で観る機会を待望していた。かつ、その「高尾」を春蝶師匠で観られるというのは私にとってもう

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        • 165本
        • 夢シリーズ
          14本
        • 日記から漏れる海
          3本
        • 随筆
          9本
        • 怪談と恐怖小説
          5本
        • 禍話リライト
          3本

        記事

          【朔 #162】いつのまにか八月

           絶望の比喩を並べ立てて私の春は終わった。  炎夏七月、  どこかで風鈴を解体する仕事に従事する。  冷えた眼鏡に触れられて、脳裏に西瓜を置いたような気がしたが無理、青銅の鴉が咥えている黒い羽は己のものではない、ではないとしたら、塔の周辺および中心を攻め続ける揚羽蝶の群と故郷としての白樺よ、慎ましい翡翠を砕くまで止まったままの時計だ、もう、アアーッと叫びながら畳を剥がしてゆくと、いつのまにか八月。  いつのまにか八月。  また、八月?  蟾蜍です。  鼻の先まで霧が訪ねてくる

          【朔 #161】環太平洋の水母たちに告ぐ

           階段室とはどんな部屋なのか。               それは天使の休憩所みたいな部屋か。紫煙の淀む天井。                  弾丸がこぼれるのと画鋲がこぼれるのは大した差がないが、七月の、      饑神、        はたゝ神、            梅の色の(つまりは純白の)羽を止めて扇風機はわずかに傾いた。                    お前にもある二つの精神の二つの穴の、                筒鳥はひとりだ、青葉木菟も。    

          【朔 #161】環太平洋の水母たちに告ぐ

          【朔 #160】発火するまでの蓬の腰

           埴輪の中からゑのこ草。(これが花道以上の花道?)  鷗、鴨目、鴨長明、仮名。  鷹が飛来して、  私は選ばれる八人のうちの一人。  発火するまでの蓬の腰を、桃も葡萄も、冷房車を時速如何。藻に絡まった水鉄砲はまだ何か吐き出している。交信する。村肝の、電熱線、それは昼顔、休暇、止血剤、いやいや、陳列の詩学なんて不可能かもしれない、恋々と、三叉路を渡る影は雪だるま。  だから、  一個の振り子になって、  朝を迎えるのです。  何度も何度も、  揺らされて散文的な欲情を喚く他ない

          【朔 #159】君は五月か何かと勘違いしている

           全身日焼けとは全身火傷のようなもので、よくもまあ、虫達は火傷しないもんだなと思いつつ百合の蕾の前を行く。饒舌な日もあったり、三人、新人会メンバーとして参加したが、私ひとり二十代。とりあえず、螽斯とか?  鹿と寝たいね……。  ほら、朝の沖。  蟬が鳴き始める。風鈴も。  愛なくば、  家を訪ねてきて、何を話すのかと思ったらいきなり欅(明易き欅にしるす生死かな/加藤楸邨)の楚に飛び移った、君は五月か何かと勘違いしている。或は二階である。死にたがる金魚。別に興味はないけれど、と

          【朔 #159】君は五月か何かと勘違いしている

          【朔 #158】若さはまた

           ああ、そうそう、  若さについてね。  その前にもう一杯いただけますか。  なんせ虚子の蟬について語るのに必死で。  はいはい、それでですね、藤田湘子と飯島晴子という俳人を……  知らない?  そうですか、  いえ、教科書にもあまり載らないので、当然です。  若さはまた餓にも似たり花葵/藤田湘子  穴惑刃の如く若かりき/飯島晴子  この二句なんですがね。  両者とも自らの少年期なり青年期を回顧した句だと解釈できますが、  どうも、私は「若さ」というものがわからないので、  

          【朔 #157】蟬の存在感

           高浜虚子『五百句』(名著復刻版 近代文学館)を入手。三百円也。  虚子の偉大さは理解しつつも、選集などを読むとどうも淡白な感じがしていた。しかし、この一冊はそんな感じが全然無い。清濁併せた虚子の世界観がよくわかる。特に心を鷲掴みにされたのは次の句。  一読、先ずこの蟬の存在感に気付くだろうか。蟬とだけあれば、その鳴き声の喧しさを想起するだろう。しかし、この句では蟬の動作が明示されていることで、異様な存在感を放っている。「靜に」も余計ではなく、この蟬の存在感を増す効果がある

          【朔 #156】太陽の上で昼寝

           全国を騒がせている、我が県の知事について書こうかと思ったが、不毛なのでやめだ。一つ書いておきたいのは、当時、私の同級生はほとんど彼に投票していたこと。私は別の候補に投票していて(自慢でもなんでもない。その候補が知事になったら、既得権益の上で安定的な県政運営がなされただろう。それを是とした時点で私も愚者です)、彼らに理由を問うと「変えてくれそう」だと。印象選挙の結末がわからないほどの愚かさを、なんとも眩しい若さと言い換えてみる。  変化を求める諸君、  何を変えてほしいのか考

          【朔 #155】彼へ私の意識はぶつけられたのだ

           野村喜和夫『観音移動』(水声社)を読み終える。思うに野村喜和夫とシュルレアリスムというのは相性が良すぎる。表題作「観音移動」からして絶妙なバランスで書き切っているし、「ニューヨークのランボー」には尊敬するランボーとの対話をナンセンスともとれるリアリティに引き寄せていてそれがたまらなくシュールだ。そして、なにより「夜なき夜」。この小説集の最後を飾るに相応しい短編で主人公が若かりし日の自分と対話する。私はこの二人(いや実質一人なのだが)のやりとりとそこから主人公が巡らせる思考を

          【朔 #155】彼へ私の意識はぶつけられたのだ

          【朔 #154】占領されている占領されているんだ矢印の矢印の先まで矢印の嵌る矢印まで

           人生は使い古された手拭のように涼しい。  、  、  。    、    、                →        、。    ……     。      、、   、  。       、  猫が鳴いている。野村喜和夫か。  よくよく聞けば、  トランペットが拉げているだけだった。  全身筋肉痛に苦しみながら、私は、滝壺に向かう。新たな一行を得るために。  投身するのは十代までで、  もう、私も、  十一月には二十二歳になりますので、  ちゃんと、  濡れます。

          【朔 #154】占領されている占領されているんだ矢印の矢印の先まで矢印の嵌る矢印まで

          【朔 #153】こんなところにも書くことの快楽がある

           十字架にかけられた聖母、  などという歌詞、  なんたるイメージ!  ストア派・・・→  かつ、  笑え。  「書く」=「搔く」ことの快楽は……、  俳人協会から出ている自註現代俳句シリーズで先月刊行された『小川軽舟集』。そのなかで「高野槙春月さらにのぼりけり」の句に付された文章にてかくあり。  こんなところにも書くことの快楽がある。しかし、この絶対的とも言える句の抒情を見よ。モチーフだけでは決して生まれないものである。作者が筆を走らせる時に感じる快楽を、読者もまた感じる

          【朔 #153】こんなところにも書くことの快楽がある

          【朔 #152】形而上的な熊

           きみどりいろのこいびとが、  天空で祝われていた──。  朝なさな、  藤垂れてくる、この、  一天。  風鈴に海を返す。  美空ひばりだ。  誰もかれも、  蟬の彼方を知らない、  無垢な頃を持たずに生きてきた。  大阪の暮れ方は凄まじく、私に水母がたくさんあることの、形而上的な熊? 詳らかに汗の匂いさせて、肉体よりも精神が欲しい。おい、フロイト。あなたの眼光が偽物みたい。千円札はまだ野口。  口、唇、朽ち、  誰でもいいから、  海を眺めていてくれ。

          【朔 #151】鬱、美しい後年

           カンナ?  目が覚めればそこには日本があり、私は千里中央に突入する。  案山子を捨てにきて、  はてしない、  鰡の子がきらきらと腹を光らせている──。  カンナ?  青鷺みたいな、白鷺みたいな、  鬱、美しい後年、  金魚は金魚畑で収穫され、  相対性理論であるとともに、  獺だ、  獺のままだ。まだ、  古、恋?  カンナ?  いくたにもふぬる/幾度も触るる唇と、生きて、来て、ふうっと、  藻が絡まった象の死体。  すくりいいいいいいいいむ。  公判途中でペットボトルを