見出し画像

Instagramを見るのをやめたら楽になった

SNSの中では多分Instagramが一番好きな人間だった。

Facebookはとりあえずアカウントがあるという感じだし、Twitterは見たくない言葉やフォローしていない方の色々な言葉が溢れ出てて、見る気が失せる時もあった。

それに比べInstagramは画像メインだし、言葉は読む読まないを選択できる意味で、Twitterよりもずっと気持ちが楽だと思っていた。
…自分が我に返るまで。


最近「視覚情報は一番受け取る情報量が多い」ということをとても感じる。

Twitterでは集団的なことや、私生活の充実など、あまりその人個人の言葉だけなので受け取る機会が少ないけれど、Instagramは1人で写っていても劣等感を生むこともあるし、その人の私生活を見て羨ましく思うこともある。

それは気持ちに余裕があり「楽しそうで良いね」「充実してそうでよかった」と思える時ならいいのだが、人ってそんなうまくできていない。

ましてや他人軸に負けていた私には結構な苦痛になっていたみたい。
気が付けばため息ばかりつくようになっていた。

人と比較して、いいねと思いながら、それができていない自分をダメだと思って少し疲れてしまう。

逆に良い自己啓発になる言葉もあって背中を押されることはあるけれど。
それでも総じてため息が出ることが多かった。

卑屈さが増すと「どんなに嘆いた投稿してても、写真撮って文字起こして発信するくらいの心の余裕あるんだもんな」と思うことも。

本当、自分でも卑屈さがひどすぎて笑ってしまう。


今はInstagramを離れて、視覚情報が少なくなって、
文字の多い世界に来てからだいぶ心に余裕が出てきた。

Instagramが悪いのではなく、自分にとって今の自分には合わないというだけだと思っているから、Instagramがどうとか、投稿している内容がどうという話ではない。


今は自分自身が心穏やかにやりたいこと・気になることに目を向けてアンテナを張るように心がけようと思う。

自然とInstagramも帰りたくなったら、その時にさっと開いてみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?