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【時代の変化】「ずっと一緒に過ごす」と「ずっと一緒に過ごした」

ふと、比較してみました。

私の親の世代と、私の世代の社会(文化)は違う、
私の世代と、今の子ども達の世代でも違う。

この二つの「違う」を比較したときに、
より「違う」のはどちらだろうかと。

私は後者だと思います、社会の変化は加速しているよねって。

特に情報量。

インターネットなどの情報網の技術を進化させたことにより、
「現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の一生分であり江戸時代の1年分」
ともいわれています。

受取る情報量が多ければ、
情報という刺激をたくさん受取った人やコミュニティの変化も早いことが推測されます。

という背景のなか、
社会環境や人の変化の速度が速くなった現代社会において、
長期的な人との付き合い方も変わるのではないでしょうか。

環境、社会の変化がゆっくりな時代は、
人の変化もゆっくりで、
変わらない環境の中、
変わらない仲間、
同じ人とずっと一緒にしても、違和感が生じることが少なかったと思われます。

環境、社会の変化が早い時代は、
人の変化も早くて、
どんどん変わって行く環境の中で、
同じ仲間とずっと一緒に過ごしていくなかで、違和感が生じることも増えるのではないでしょうか。

ずっと同じ人、同じ仲間と時間を共有し続けることは
「ずっと一緒に居ようね」
というセリフに象徴されるように、美しいこととされている風潮があります。

それは、そのままで良いと思うのですが、その風潮が、
一緒に居ることに違和感を感じていたり、
一緒に居ることが窮屈に感じるようになった時に
「ずっと一緒に居ることが良いことなのだから」
と関係性を変えないことが、不自由さに繋がらないといいなと思います。

周囲の変化の速さは認識できても、
自分の変化の速さは、結構、気が付けないかもしれません。

なので、一緒に居ること、時間を共有することが心地よかった仲間が、
だんだん、そうではなくなることがあっても、
それを良くないこととは捉えずに、
それは変化が速い社会の中では、自然なことで、
自分の変化に沿って、その時の自分が
心地よく時間を共有できる人と過ごすというスタンスで、
流動的に、一緒に過ごす相手を変えていっても良いと思いました。

…とはいえ、急に所属先を変えるのは、なかなか大変なので、
私のおススメは、同時に複数のコミュニティに所属しておいて、
自分の変化に合わせて、そのコミュニティに使う時間配分を変化させていく生活スタイルです。

これにより、あるコミュニティから出ることを決めても、
他にも行き慣れたコニュニティを持っておくことができるし、
はじめて参加してみるコミュニティがその時の自分に合わなくても、
帰れるコミュニティがあるので初参加のチャレンジもしやすくなります。

そうやって、流動的に関係性を変化させながら生きていって、その終末に、
気が付いたら、ずっと一緒に居たね、
一緒に変化・成長して来れたね、という存在が傍らに居たら、
それは、これだけ変化が速い環境の中で生き抜いた、その人生のなかに、
奇跡のような出会いがあったんだね、と後から喜べるんだと思います。

ずっと一緒にいる、という美しさは、目指すものというよりは、
自分の変化に抗わず、その時の自分に合う人と一緒に過ごしてい来たら、
そういえば、ずっと一緒にいたね、という結果論なのかもしれません。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

紀乃

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