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家族は他人から始まった

おはようございます。

只今なんと5°のトロントですが雨がサラサラと降っていて、湿度があるせいか5°でもいつもより寒さを感じます。コンデンセーションがおさまっているのは、気温がプラスの気温だからでしょうか。

 本日のサンライズタイムは7:50amとなり、サンセットタイムは、4:48pmとなっています。

 ロックダウン中のトロントですが、いよいよオンタリオ州全域と空港やボーダー線も一段と厳しくなるようです。今朝は月曜日というのに、以前とは違って、真っ暗なコンドミニアムも多いです。週末と平日の違いはありましたが、クリスマスが終わってから、ダウンタウンは以前にもましてひっそりとした静けさが漂っています。

 昨夜はAmazonプライムで、Amazonの創業者ジェフ・ベゾス氏の映画を観ていました。私は去年暮れにAmazonでのショッピングして以来、オンラインでのショッピングでも、カナダのモントリオールのデパートからのオーダーだったりとなるべく地元を応援するという形でしかショッピングしていませんでした。一年間は一切Amazonでのショッピングをやめていたのですが、どうしても必要なものが単品では安すぎて、一つのオンラインからでは、送料無料となることもなく、仕方がなく最後の手段としてAmazonでのショッピングをすることにしました。Amazonで買い物するには、いろんな分野のものが一度にオーダーできて、送料がかからないということですが、今ではハンドルフィーやなんだかんだ言って、送料無料というのもよくわかりません。その中でも、ベレー帽をオタワのアーティストの人から頼むことにしたのですが、個人取り引きということもあるのか、送料は別でチャージでしたが、値段も手軽だし、カナディアンの人のビジネスを応援できることもあって、ようやく注文することができました。2020年は、私たち自身は、本当に必要なものしかショッピングしなくなったなと改めて実感しました。グロッセリーストアだけは、オープンしていることもあり、そろそろショッピングしないと、冷蔵庫も空っぽです。今年新しくキッチンで使うようになったものはソーダーストリウムで、コカコーラの味とかルーツビアーとかもつけることはできるのですが、あえて私たちはただのスパークリングウオーターとして使っていますが、毎日の習慣になっているようです。あとはミキサーですが、これはスープとかセロリジュースを飲む習慣にもなった便利なものです。あと、歯医者にもなかなかいけなくなったのもあって、今年から、使うようになったのは、フロスもしていますが、ウオーターピックを使うことで、歯茎も健康になってきているようです。

 2020/12/29火曜日が、トロントでは蟹座♋️の満月ということで、今回は2回目の蟹座♋️満月🌕ということで、家族に焦点が当たりやすいということですが、今年はロックダウンということもあり、普段以上に一つ屋根の下で一緒に暮らす家族の関係にも強く焦点があたったのと、離れている家族ともお互いの在り方を強く感じた年でもあったようです。

 私の父は両親に育てられなかった分、育ての親たちの親戚に加えて、ハーフブラザーシスターも多く、同じ母親の弟は、マレーシア人の妻がいて、一人男の子とシンガポールに住んでいたこともあったそうです。しばらく私の母の美容室で仕事と生活をしていたこともありましたが、結局は離婚して何度か結婚と離婚を繰り返して最終的には日本人の若い女の人と結婚してからは音信不通のままだそうです。

 他にも父の親戚でバンクーバーに娘がいるのですが、彼女とも小さな頃は遊んだ記憶もあるのですが、大人になってからは、お互いの親同士は今でも行き来はあるのですが、私たちは親から話しを聞くくらいで、同じカナダに住んでいても、トロントとバンクーバーで距離もあり、一度も連絡していません。


 
ちょうど、今年のトロントではロックダウンということもあり、社会的にも半強制的に一つ屋根の下に暮らす家族が共に日々暮らしていくことで、お互いの幸せを感じることやもしくは行き違う意見や性格の違いなどを感じながら、
自分はどう生きていきたいのか、
自分はどんな人なんだろうかと、
より身近にいる家族を通して自分という自身のこともよく見えてきたのではないでしょうか。

 そもそも性格の違いや意見の違いがあってこそ、自分の思考がどのように働くのか、自分は何が嫌で何が好きなのかも理解できることになるようです。


 あまりにも自分の思い通りに全てが進むなんてことは、よほど自分の中のモチベーションや向上心が保持されない限り、とてもつまらない日々となってしまい人は変化せず、成長もせず、ただ死へと向かっていく衰退していく日々となってしまうようにも思います。


最初に家族となる時、
あなたは自分の両親という家族から自立して、
他人であるパートナーと出会うわけです。

 そこから、社会的なステータスも変わり、子供ができ、立場も変わり親となり、社会的貢献へと日々社会の中で家族となっていき、やがてその子供たちが巣立っていき、二人家族と戻って家族の一つの役割を終えます。

それでも、家族の単位は他人と出会ってパートナーとなるということが最初のステップでもあり、最後までこの二人という単位は他人同士からスタートしてるというところに気づくのです。このお互いにパートナーと呼ぶ愛する相手がいなかったら、生まれてこなかった愛する子供たちを育て守ることはできないのです。時には歩いていく道のりが違ってしまっても、他人であっても、そこに子供がいることで繋がっているというところも家族という複雑な関係を学ぶことでより大きな関係を学び、自分ということに気づき人との関係を築くことになっているのかもしれません。

 家族という近い距離から、自分のことを学ぶ良い機会だったと思う反面、親との距離感も学ぶことができた期間だった気もします。

 そして、親戚という距離感も人それぞれに違うと思いますが、家系という軸で繋がっているので、私はどんな人にも親切にできるのは、ナースだったからかなと思っていましたが、実は私の中での親戚との距離感が実質的には離れていても、心の中では繋がっているという絆を感じているからかもしれません。

『人類みな兄弟』とは良く言ったものです。🤣


 私とマイケルは、幸いにもお互い全く趣味も違いますが、一緒に暮らすには最適にサポートし合うことはできているようです。それには、お互いのやる事を尊重することと、居心地良いスペースを崩さないというところがあってきたようにも思います。面白いことに、マイケルは元々都会暮らしでガーデンなどしたこともなく、私に影響されてガーデニングし始めたようなものです。物を収集する趣味がある彼に影響されたことは、物を大事に使うことです。壊れたら捨てるのではなく修理するという修繕方法を知ったのも、彼と出会ってからでした。


 続く



 

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