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高校生時代 後半の僕

震災の話はもっとあるけど、一旦終わりにして。

僕は高校3年生になった。震災は落ち着き、生活は日常に戻っていった。

高校3年生になると、当然進路を考えなきゃいけなくなった。でも、行きたい大学ややりたい仕事があった訳でもないし、それまでろくに勉強もしてこなかった。先輩の進学率が高い地方大学に進もうかくらいに考えていたけど、一方で「そんなんでいいのかな?」とも思った。それは、震災があったから。そして、もう1つ理由があった。

高校2年生の時、父が死んだ。がんだった。
真面目で、ときには厳しかったけど、休みの日はいつも野球の練習や試合にきてくれるくらい優しくて、沢山の愛をくれた父だった。

そんな父の死、そして、震災での友人たちの死。

何もできない自分を知った。このままでいいのかと思った。

そして、目の前で苦しんでいる人を救いたいと思った。
人の命を救う職業は沢山ある。薬剤師、看護師、消防士、自衛隊員、研究者 ...。

医者だ。

一番直接的に人の命を救い、一番人間の生と死に向き合う、それが医者という職業だと思った。だから、僕は医者になるために、「医学部」を目指すことにした。
高校3年生の夏頃だったと思う。かなり遅い選択だった。

自分で自分の進路を決めたのはこのときが初めてだった。
小学校も中学校も、高校も、何か自分の中の目標があって選んだ進路ではない。近くにあるからとか、自分のレベルで入れるのはそこくらいだからとか、考えているのは入ることだけでその先に夢や目的は何もなかった。書道も野球も、始めたのは親の影響が大きい。だから、この選択は自分にとって大きな決断だった。

案の定、受験までには勉強が間に合わなかった。センター試験の得点率は60%程度だったと思う。医学部に入るには80〜90% なんなら満点くらいの正答率は必要だった。
この結果を見て、先生に北陸地方の大学を進めれられた。この時点で浪人することを覚悟していたから、とりあえず受けることにした。結果、不合格。「これじゃ医学部とか到底無理やん」残りの後期試験も受けることにした。後期は東北地方の大学を受験した。結果、合格。でも、そこに通うつもりはなかった。合格したのは理工学部だったからだ。
入学辞退を伝える書面を書いてから、すぐに予備校の入るための願書を書いた。

このとき、僕の浪人生生活が決まった。

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p.s. トプ画のために過去の画像を探していると、思い出が蘇ってきて泣きたくなる。年取ったなぁ。

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