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愛は起きる

【愛が起きる】ってのを例えるなら



朝起きてコーヒーを淹れる。

カップを二つ用意する。

わたしはいつもブラックだが、砂糖とミルクも準備する。

君は必ず砂糖一つとミルク二つ。

砂糖のストックが少ない。

補充しておかないとな。

君がコーヒーの香りで起きてくる。

挨拶をする。

『今日の夢はどんなだった?』とわたしは尋ねる。

『今日は〜』と君が話し始める。


君は毎朝わたしが喜ぶような夢の話をする。

たぶん大部分が創作であるが、わたしは一度もそんなことは言わない。

たいてい私が主役の物語で様々な場所で様々な事件が起きる。

わたしはそれを想像しながら聞く。

不思議な世界に毎朝連れて行ってくれるのだ。

ふむふむ、今日はわたしがお姫様で君は庭師ね。


ときどき質問したりもする。

『わたしはどんなドレスを着てたの?』

『え〜っと、たまご色の〜』

『たまご色?!そんなの嫌よ!黄色じゃないの?いや、黄色でも嫌だけど』

『いや、玉虫色だったかな』

『ん〜たまご色よりはいいか……いいか?玉虫?輝く緑っぽいの』

で、話はいつも途中で終わる。

オチもないし、完結もしない。

君が仕事に出かける時間になるのだ。

『いってらっしゃい。道草をくっちゃだめよ』

『姫様、庭師は葉を食うために刈ったり切ったりしておるわけではございませんよ。では、いってきます』


わたしはクロゼットを覗き、たまご色か玉虫色のアイテムを探す。

いや、ないだろう。

そうそう持ってない色だ、そのふたつは。

ベージュ色の靴下を見つける。

これでいいか。

こんな感じで、わたしは彼の夢の中に登場した何かに近いものを身に着けて過ごしたり、それっぽいキャラを1日演じたりもする。


『愛が起きる』というのは、このような日常のルーティンで、互いに面倒くささや煩わしさを感じていないことだろう。

今回の話で言うなら

相手の分までコーヒーを淹れる手間を嫌だと思わない。

砂糖の補充を面倒だと思わない。

彼女に話す夢の話を考えるのが苦ではない。

話の途中で脱線しても構わない。

そして、当人達はそれすら意識していない。

相手のためにアレコレやるのだが『してあげてる感覚』はないだろう。

与える感覚はないだろう。

相手を喜ばせよう、という意識がつよいわけでもないだろう。

自分の方が近いからやる、自分が得意だからやる、ただそれくらいの理由であろう。

当たり前や当然のような抵抗なく流れるやりとり。


愛が起きるとき、前提にあるのは『互いに相手のことを知っている』『もう何度も同じようなことをやっている』という既知に基づくものだ。

しかし、退屈でもない。

退屈さを感じるのは願望や期待や欲求が強いからだ。

愛が起きているとき、失望や落胆や嫌悪はない。

『あぁそっちに流れるのね』といった感じで寄せていくのだろう。


愛が起きているとき、当人達は気付くことはない。

第三者が観測したときに『なんだかいい感じ』と思うだけだ。

しかし、大抵の場合第三者がいることは少ない。

第三者がいたら流れが止まったり、いつものようにはいかないのだ。

愛が起きる時は、必ず二人であるとも限らないけどね。

三人でも四人でもそれ以上でも起こるだろう。

ただ誰も愛が起きていることを気にもしない。気づかない。



ただひとつ、その日常のルーティンがなくなったときに『あぁ、あれはすごくよかったものだったんだ』とか『懐かしい』とか『寂しい』という形にて気づくことになる。

失って初めて気づく、とは愛が起きていたことに気づくのである。


【愛は起きる】のだとすれば、『愛する』という一方の働きかけで完了するような物言いが邪魔となる。

『愛される』も同じである。


しかし、既知が前提にあるということを踏まえるならば、『愛する』に近いのは『相手を知る。自分を知らせる』であり、『愛される』に近いのは『自分を知ってくれる。自分を見つけてくれる』になるだろう。

それらが積み重なり愛が起こるようになる。


私は、あなたが愛が起きていたと気づくことが少なければいいと祈る。

私の言葉が思い出されることがなければ、そこで愛が起きているのだ。誰も気づかないけどね。

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