夫よ!この忙しい年末に飲み!?の怒りをどうしたかというお話
12月27日、セラピーの仕事納めでした。
最後に私も、いまだに心の筋トレ中ですよ。ってお話をしました。
そして、それは何も恥ずかしいことじゃないし、未熟であっても、幸せは感じられるし、前に進んでいける。
そんなことを話し合ったのですが、
もう、早速ね、素敵な情けない私のエピソードがでてきたのでシェアいたします。
(昨日28日の記録です。)
今日、娘と映画に行きました。楽しい気分で、グッズを見ていた時、ふとスマホをみたら、夫から、ラインが入っていました。
「明日、夕方からでかけていい?」
そして、そのラインに私は返信できてなかったので、続けて
「明日、夕方から、○○さんと食事にいくことにしました」
って報告。
はぁ?
この人は何を言っているんでしょうか。
だってね、今日は28日です。仕事納めで、明日29日と30日に大掃除です。
この二日しかないわけです。31日は夫の実家に毎年恒例お泊りに行くので、動けるのは、29日と30日。
普段、積極的におうちのことや育児にかかわってくるでもない。
でも、大きなお休みぐらいは、おうちのことやってもいいじゃーん。
分担しているものも、最近は全然やってくれない。
そもそも○○さん、こんな年の瀬に、小学生の子育てしている人、飲みに誘う?非常識な。
・・・・とこんな感じで、怒りがふつふつふつふつ湧いてきます。
夫にラインしました。
「この時期はきびしくないですか。風邪ひいているっていっていたよね。体調不良っていっていたよね。この大掃除で忙しい中、飲みに行くって。。。私たちが沖縄に行ったあと、一人になってから、会ったらいいんじゃない」
返信はなく。
あ、これ、無視して、行くやつだ。
まだまだ怒りはでてきます。
飲みに行くなって言っているわけじゃない。
これまでいったことはない。
ただ、タイミングってのがあるでしょ。
それぐらい自分で考えられないのか。
○○さん、夫に、こんなんじゃダメだっていうけどさ、どれだけ自分幸せなんですか。幸せ?満足?自分正しい?だから、お前ダメみたいな?
百歩譲って、幸せとしましょう。幸せとしましょう。でも、○○さんと、夫は同じですか?全然違うでしょー。性格も、考え方も、気質も。
なのに、俺と同じように考えて、同じように行動しろって、できるわけないでしょー。しないけど。
もう、相手の方への不満もとばっちりで噴出してきます。
なんで行ってきていいかって、私が許可ださなきゃいけないのよー。自分で考えなさいよー。今行って大丈夫なタイミングなのかどうか。
親じゃないんだけど。自分で考えろーーー。
夫が帰ってきました。
もう、無視。
夫が、ぼそっと、「ほんと、あなたが言う通りなんだけどさ。〇〇が誘ってきたからさ」
想定内だけれど、また怒りが湧いてきて、
ラインで書いたのと同じように伝えた。
「この時期は厳しいと思うよ。」
でも、それで夫は、もう言葉を発さなかった。
なので、私も、もう夫の目もみない、口きかない。聞きたくない。
のモードになった。
普段、空気を読まずに、パパの文句ばかりいって、怒られている娘も、
さすがに(やべーーーー)
と状況を察して、おとなしくなっちゃうぐらい、私の静かな怒りがあふれてあふれてとまりませんでした。
ごはん食べながらも、怒りがこみあげてきて、胃が痛い。腹立ちながら、食べるものではありません。腹立っているとき、消化能力は落ちるのでね。
嫌いな人との食事はNG。そして腹立っているとき、悲しんでいるときの食事もNGです。
で、胃が痛くなる。
お風呂に行きました。娘を誘って、ごねられるのも、心底うんざりだったので、「お母さんお風呂入るよー」って宣言だけして、一人で入ってきました。
お風呂の中でも、
「もうお泊り行かないんだから。でもお泊り行かないと、娘が悲しむなぁ。
娘もいかないって言いだしちゃうなぁ。娘が悲しむのは嫌だなぁ。
夫のことを無視しながら義理実家で一日過ごせるか?えーー普通に会話するわけ?絶対いやだ。もう、調子のるんじゃなーい。痛い目みろーーー。」
とどこまでも、ふつふつは止まらずあふれてきます。
と、ここで、私はホ・オポノポノを思い出します。
ただただ、
「ありがとう、ごめんなさい、ゆるしてください、愛しています」
この4つの言葉を唱えることを、ホ・オポノポノでは、「クリーニング」と言います。
ハワイの秘法です。
私は、夫に対してイライラしたときに、クリーニングすると、先ほどまでの感情の乱れが落ち着くのです。
「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」
少し落ち着いてきました。
私の胸に意識を傾けて、内なる子どもの自分に語り掛けます。
「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」
すると、少しずつ心が落ち着いてきました。
「これは、記憶だ」
「私の記憶だ。記憶が再生されているんだ」って
ただ、再生されているだけ。
「内なる子どもよ、教えてくれてありがとう」
「内なる子どもよ、いままでずっと、この怒りにさらされていたんだね。ごめんね。許してね。ありがとう。愛しているよ」
とこんな風に語り掛けました。
湯舟から出て、頭を洗いました。
その時に、ふとこんなことを思い出しました。
「娘に、こんな風に言おう。歴史を学ぶといいよ。歴史を学ぶと、これから何が起こるかわかるから。人は、なかなか変わらない。嫉妬したり、怒ったり、悲しんだり、操ったりして、歴史という物語がつづられている。歴史をまなんだら、先見の目が養われるよ」
と、こんなことをふっと思ったのです。前後脈絡なく。
すると、不思議なことに、先ほどまでの夫への怒りがゼロになりました。
ほんと、びっくりするほどです。
あれ、私、なんでこんなに怒っていたんだろう・・・・
?????
えっと、なんでだ?だって、パパの夕飯作らなくていいんだよ。らっきーじゃなーい。(^^)/
娘と外食いけるじゃん!
年越しいそがしいんだから、一食なくなるの、ラッキーだよ・・・ね・・・。
本当に、本当に、なんであんなに怒っていたのか、思い出せなくなっていました。
無理やり思い出してみました。
えっと、自分ばかりずるい!って思ったのかなぁ・・・
えっと、昨晩食器洗ってくれなかったから、かなぁ・・・
えっと、返信してくれなかったから、かなぁ・・・
なんか、思い出しても、え、それで?ってなんだか、しっくりこない感じがして、もはや、なにがそんなに腹がたっていたのかわかりませんでした。
おそらく、確かに、「年末のこんな時にのみに行く」というイラっと火種はありましたが、そのあとに続く怒りは、ただ燃え上がった炎だったようで、燃えているときは、実態があったのですが、火が消えたら、もうない。
燃え上がる怒りの感情がなくって、先ほどまで書いていた、あの、怒りに満ちた私の声は、その怒りの炎を燃え上がらせるために作り上げられたもので、実態はなかったという。。。言葉にするとそんな感じです。
わかりやすく言うと、消えたんですね。
ホ・オポノポノでは、これは、「記憶(メモリー)がクリーニングされた」状態だといいます。
私たちが、怒ったり、悲しんだりするとき、それは怒りに値する出来事があったから、怒ったり悲しんだりするわけではないといいます。
私の中に、記憶(メモリー)があって、それがただ、スイッチが押されて、「再生されている状態」なのだといいます。
なので、4つの言葉「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」っていうと、それがクリーニングされます。
クリーニングされると、もはや怒りの記憶は消えてしまうので、怒りの感情を感じることはないのです。
まさに、今の私の状態です。
こんな風に、出来事は、私たちの記憶(めもりー)を再生させて、クリーニングするために、起こるといわれています。
ホ・オポノポノではね。
娘に歴史を学ぶといいよって言おう と脈絡もなく思ったことは、これもホ・オポノポノではワードがありまして「インスピレーション」と言います。
私の怒りの状態を解除する方法をインスピレーションを通して降りてくるのだそうです。
その時はわからなかったけれど、今考えるとわかります。
「これは、『怒り』の歴史であり、『記憶』でしかないんだよ!」ということを強烈に思ったのです。
だから、夫が年末に出かけるということが、私にとって、「とるに足らないもの」になったわけです。
そのことに対して腹を立てる「価値」っていうのかな、それが下がった、みたいな。笑。「怒る価値」暴落!
そして、また今考えるとわかるのです。
ああ、私、ちょっと頑張りすぎていたなぁって。私、我慢していたなぁって。ちょっと自分のご機嫌とっていなかったなぁって。
人に対して、ずるい!とか、調子に乗って!とか、なんで私だけ!
って思っているときって、私の場合は、「自分のご機嫌をとっていない時」が多いのです。
相手が、私をないがしろにしているのではなくて、私が私をないがしろにしているから、私が怒っています。悲鳴を上げています。
だから、助けて!って思っている。なんで自分だけ!って怒っている。でも、それは、相手に対して怒っているんじゃなくて、私をこき使ってばかりの私に怒っているのです。
そんなことに思い至れたら、また私をクリーニングします。
ごめんね。ありがとうね。許してね。愛してね。
と、こんなエピソードがありました。
そして、また私は夫にイライラするでしょう。娘にイライラするでしょう。
そうやって、私は、いろんな角度から、いろんな出来事から、クリーニングされていきます。
同じようなことでイライラしても、前とは確実に違います。
少なくとも今、私は、夫へのイライラを募らせ、体に負担をかけるようなことをしていません。むしろこうやって、ブログを書いて、自分を振り返り、自己理解を深めています。
次は、また次のレベルのクリーニングになるしかありません。
こうやって、私は、私との信頼関係を深めていきます。
ちょっとセラピーして、はい終わりではありません。
人との信頼関係も、会ってすぐ、はい仲良くなりました!もういいでしょ?ってはなりません。
何回か会って、いろんなことを一緒に取り組んで、そのたびにありがとうっていって、間違ったらごめんねっていって、そんなことを繰り返していくうちに、信頼関係を築いていくものです。
自分との信頼関係も同じ。
一回セラピーして、はい、できました。ではありません。
たくさんの出来事を通して、分断された絆ととりもどしていく過程がセラピーなのです。
私のセラピー仕事納めで来てくださった、今年最後のお客様は、
「そっか。。。そうですよね。信頼関係は、何度でもですよね」
そういって帰って行かれました。
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