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100万回死んだ私

こんばんは。本日2回目の投稿です。眠れないしなんだか心がもやもやするので、自殺について自戒を込めて書こうと思います。

最初に言っておくと、私は自殺擁護者でもなければ自殺反対者でもありません。いわゆる中立というやつです。確かに、自分の最期くらい自分で決めたい、とは自分も思うけれど、だからと言って大切な人に自殺されてしまったらとても辛いと思うし、これはあの人の決断だから、と割り切ることなど到底出来ないと思うからです。



最初の記事に書いた通り、私は過去に何度か自殺未遂をしたことがあります。

一つは、浪人時代に病気で勉強がまともに出来ない自分と周りの期待に押しつぶされて、眠剤を半年ほど溜めて、袋いっぱいになった薬を一気に煽ったとき。この時は、病院で目が覚めたら3日経っていました。目を覚ましたときに看護師さん今日の日時を聞かれて、自殺未遂をした次の日を答えたら違うと言われて判明しました。その看護師さんはとても冷たく、何度も尿道カテーテルを雑に突っ込まれ、自殺なんてしちゃダメでしょ、こっちに迷惑かかるんだからね、といったようなことを延々と話していて、ああ、なんで自分は死ななかったんだ。と思ったことを覚えています。
もう一つは、信用していた元恋人に振られて生きる意味を見失って首を切って自殺しようとしたとき。この時はカッターの刃を出す音を聞いた親が部屋に入ってきて、深い傷を負う前に止められました。親の恐ろしい形相は一生忘れられないと思います。


病気で勉強が出来ないくらいで、信頼していた恋人に振られたくらいで、と思う方もいるでしょう。でも、病気になるまでずっと東大に入れる天才だと言われ続けていた自分が勉強という唯一の取り柄を失ったのはもはや死んだも同然でした。
また、私は過去の大切な人がみんな私から離れて行った経験から、人を信じることがなかなか出来ませんでした。元恋人のことも、最初の2ヶ月は信じていませんでした。でも、この人なら信用出来るかも、と思って勇気を出して心を開いた途端に振られたので、私の心の傷は深いものでした。その頃の私には元恋人以外に頼れる人がいなかったので、振られた後の日々はただ苦しくて寂しくて、こんなの嘘であってくれ、明日目が覚めたら元に戻っててくれ、とずっと思っていました。同じ出来事を経験しても、人によって受け止め方が違います。また、自殺の原因は1つではなく、複数の要因が重なって自殺へ繋がります。私の場合は、たまたま、それらの出来事が重なって私を自殺に追い込んだのです。

自殺の前に思うことはいつも同じです。それは、「今ここで死なないといけない」という脅迫観念です。よく、自殺する前に残される人のことを考えろ、と言いますが、自殺を企てて実行に移す時点で周りを見ることなどとうに出来なくなっていて、ただ「死なないといけない」という衝動が私を夢遊病のように自殺へ駆り立てたのです。一度その衝動を感じたら最後、次の瞬間にはほぼ無意識のうちに、薬を煽ったり、大きなカッターの刃を出して首筋に当てたりしていました。その衝動が無いときも、私は29の冬に練炭で死ぬんだ、といった自殺計画がずっと心を占めていて、私の生活には常に死がまとわりついていました。

これまでに自殺未遂に終わったことや、自殺するまでに行かなくても心が傷ついたことは数え切れないほどあります。私の心はそのたびに死んでいるのだと思います。初めて自殺未遂をしたあの日、唯一信頼していた元恋人に振られたあの日、バイトで理不尽に怒られた日、受験に全落ちした日。今の私は過去に死んだ私の亡骸をつぎはいで作ったキメラなのです。


こんなことを書くと、また都合の良い話だ、とか、そんなのありえない、とか言われると思いますが、それを覚悟で言います。そんな悲しきキメラが死ぬのをやめたのは、今の彼女さんに出会ったからです。

もちろん、私は、あなたに恋人を作れと言いたい訳ではありません。
私が言いたいのは、未来というのは良くも悪くも見えず、一寸先は闇である、ということと、自殺出来るほどの勇気の少しを人を信じてみることに使ってみないか、ということです。

一つ目。私は元恋人に振られたとき、もうこの先自分は誰のことも愛せないし誰にも愛されないのだと確信していました。でも、その先の未来で私は今の彼女さんに出会い、今こうして恋人として一緒に幸せを分かち合っています。でも、あの頃は私は今の日々を予知することは愚か想像することすらできなかったのです。
常に変わりゆくこの世界では、1秒先の未来だって分からないのです。だから、実際に明日が来る前に、明日が今日と同じ絶望感に満ちたものであることを確信することはもったいない気がするのです。
明日、珈琲が上手く淹れられるかもしれない。
明日、電車で座れるかもしれない。
明日、朝の占いで1位かもしれない。
明日、素敵な人と出会えるかもしれない。
そんな明日への淡い期待を、希望を、捨てないでいて欲しいのです。だって、未来は誰にも分からないのだから。

もう一つは、幸せな今の日々を手に入れるのに必要だったのは、人を信じてみる勇気だったなあ、と、今振り返って思うのです。彼女さんに初めて出会ったあの日、私は、味方など誰もいない孤独で暗いどん底で、最後の勇気を振り絞って、素性も知らない彼女さんを信じてみよう、と思ったのです。この人が駄目ならもう二度と人を信じない、と決めて、自分が持ちうる最大限の勇気を振り絞って彼女さんを信じたのです。彼女さんとの幸せは、あの日の勇気のおかげと言っても過言ではないでしょう。
人間不信はなかなか治りません。そして、自殺はとても勇気のいることです。でも、その勇気があれば、その勇気のほんの一部があれば、もう一度、もう一度だけ、人を信じてみることが出来ると、私は思うのです。



自殺未遂をした私だからあなたの痛みが分かるよ、とは口が裂けても言えません。あなたの痛みはあなただけのものです。でも、ほんのささやかな気持ちですが、あなたに明日が来ることを願うことは出来ます。
光があれば必ず闇があります。ここで死ななかったとて幸せな明日が待っているとは限りません。でも、同様に、闇があれば必ず光もあるのです。あなたの明日は無限の可能性を秘めています。いいことがない、とは決して言い切れないのです。

だから、今日はとりあえず自殺するのを辞めて、好きな音楽を聴いて眠り、明日を迎えてみませんか。

長生きしろとは言いません。でも、明日こそは、という、綿菓子のように淡く脆い希望と、人を信じる勇気が、明日を作ってくれます。そして、その繰り返しがあなたの人生となるのです。

これを読むあなたが無事に明日を迎えられますように。それではまた明日。

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