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沈黙の絵画

『絵画の方が詩より汚くて厄介だ、それにしても僕はいつも詩の方が絵画よりもすごいと思っている。で、結局絵は何も語らず、沈黙を守っているが、僕はやっぱりこの方がずっと好きだ。』
(「ゴッホの手紙 中」より)


こんばんは。みなさまいかがお過ごしでしょうか。私は昨日3時前まで眠れず起きていたのにも関わらず今朝は5時に目が覚めてしまったので、珍しく朝ごはんを食べて、小雨の降る中散歩に出かけました。早朝、しかも小雨の降る早朝、の静寂と、この世界に自分以外誰もいないような孤独感、澄み切った美味しい冷たい空気というのは何ものにも変え難いものです。特に、私のようないつも早朝どころか昼過ぎまで眠っているような人にとっては。早朝の世界を十分に満喫した後、糸が切れるように眠くなり、昼過ぎに講義が始まるまでずっと眠っていました。

唐突ですが、私はゴッホが好きです。彼の作品はもちろんなのですが、彼の、生前たった1枚しか絵が売れなかったのにも関わらず、前向きに生きていたところが好きです。ゴッホの最期が自殺であることや、ゴーギャンとの喧嘩の末に耳を切り落とした事件はあまりにも有名です。しかし、彼の残した、弟テオ宛の無数の手紙についてはあまり知られていないのではないでしょうか。彼の弟宛の手紙から見る限り、ゴッホは自分の苦境に苦しみながらも、希望を捨てないで逞しく生きていたような気がします。「ゴッホの手紙 中」より彼の言葉を引用すると、

『起きなければならないことなら、放っておいてももうとっくに起きているはずだ』

『不幸なことがあっても「これで不幸への年貢を納めてしまったのだ」』(と捉える)


などと、かなり前向きな言葉を残しているのです。彼の作品が死後に評価されたのは、生前のゴッホのこのような直向きな思いがあったからなのではないのでしょうか。

それに加えて、私はゴッホの絵の捉え方も好きです。冒頭の引用をもう一度記します。


『絵画の方が詩より汚くて厄介だ、それにしても僕はいつも詩の方が絵画よりもすごいと思っている。で、結局絵は何も語らず、沈黙を守っているが、僕はやっぱりこの方がずっと好きだ。』
(「ゴッホの手紙 中」より)


この言葉を初めて読んだ時、深い共感を覚えたのを覚えています。確かに、詩とは素晴らしいものです。シェイクスピアのソネットの14行の中に納められた思いは世界中に広がり、今や必須の教養となっています。
それに比べて、絵は何も語りません。詩が、読み手に思いを語りかけるものだとしたら、絵は黙って佇むようなものなのです。

でも。

絵は、ただそこにいます。病めるときも、健やかなときも、ずっと。絵は、ずっと、見た人の心の中に残り続けます。
絵に言葉はないけれど。
絵に言葉がないのは、それが必要なかったからではないか、と私は思います。絵は黙っているけれど、全世界に伝わる描き手の思いを抱えて、貴方の前に、ずっと、佇むのです。

そう考えると、やっぱり、私は、絵が好きだなあ、と思うのです。


個人的に、絵を描くという行為は、身の回りの現実や心象を描き手というフィルター、あるいはプリズムを通して見ることだ、と考えています。描き手を通り越した世界の欠片たちは、素敵な光となり人々の心に届くのです。
プリズムを通した光が虹色に広がるように、ドリップ珈琲に通したお湯が美味しい珈琲になるように。
私は、素敵な絵を濾すことが出来るフィルターになりたいのです。

毎度ながら長文失礼いたしました。あなたが自分の心の中にずっと残り続ける、素敵な絵に出会えますように。それではまた明日。


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