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他人を理解することはできない

素人が1分間殴り合うのも、絶叫が飛び交うゲーム実況も、コーラにメントスをいれるのも、明らかな釣りのサムネ画像も全部が大嫌いだった。
食わず嫌いはよくないと思い、何度か目を通したがそれでもやっぱり、
何が良いのか意味がわからなかった。

この負の感情に振り回される自分に嫌気がした時に思い出した事があった。
4年前にコーチング領域で起業をするため、JCF日本コーチ連盟に半年間通い詰めていた時に言われた言葉だ。

「言葉の語源を考えれば、人を理解できないことは明白です。」

手元にテキストがなく正確に思い返せないのでChatGPT先生に頼る。
※もし解釈が誤っていたら教えてください

他人を理解するには、相手の経験、感情、文化、価値観といった多くの要素を正確に「分けて」理解する必要があります。
「分かる」という言葉は、「分ける」という動詞から派生しています。「分ける」という動詞の行為自体が、物事を区別し、分析し、整理することを指します。しかし、これらの要素は非常に複雑で多岐にわたるため完全に分けて理解することは極めて難しいです。
そして、「分かる」ことは「理解」するための前提条件となります。物事を分けて識別することで、その表面的な特徴や違いを認識し、その認識を基にしてさらに深く分析し、解きほぐすことで、本質を把握する「理解」に至るのです。分かることができないと、その物事の背後にある理由や本質を深く考え、理解することができません。

出典:ChadGPT

要は、「理解」にはそもそも「分かる」というステップが必要で、他人をきっちり要素に切り「分ける」事が成り立たないのだから、人が他人を完全に理解する事はできないのだ。

これを聞いた時に、他人を理解しようとする必要も無理やり納得して他人を受け入れる必要もないし、そもそもできないと考え方を変える事ができた。
むしろ、他人が理解の対象であり全て自分の思い通りであるという考えが傲慢だと思うようにもなった。

受け入れなくていいから、まずは放っておくだけでいい。

「意味がわからない。」とイライラしたり、自分と比較して凹む暇があったら放っておく。

自分に向き合う事で分かった事もある。
自分に余裕がない時や自信がない時に、この弱い自分が鎌首をもたげて心の中で顔を出す事にも気づいた。
これは全て自分の内面の問題だ。

「やるべき事をやっていない」「不安な事がある」など色々な理由で余裕を無くす事はあるが、そんな時こそ他人を放っておいて自分の内面に意識を集中すればやるべき事が見えてくる。

今振り返ると4年前にコーチング領域に挑戦してよかったと思う。

最近、仕事の関係でInstagramを始めた。
本当にSNSには功罪があると思う。
人の輝かしい一面だけが見えて、今の僕には比較は避けれられない。

でも、それを良いエネルギーに変換しながら、『ただ自分と他人が存在している』という風に世界を視れるように、自分の扱い方を変えていける機会と前向きに捉えている。
さらに「言動や人そのものに対して自分がどういう感情を抱くのか」に気づく事で、『自分が今どういう感情を抱いているのか。その理由は何か。』を考える機会になり、自分をより深く知れる事に繋がると捉えている。

人間は他者と関わらざるを得ない生き物だが、それでも『幸せ』は自分で決める意思を持ち続けたい。
自分が手綱を握り、舵をとるしかないのだから。

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