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私の日記術~書き方の変遷 あれこれ    

 日記を書き続けるようになって20年になります。
 随分と長い付き合いになりました。
 今では、日記を書くのが当たり前で、書かない日があるとちょっとした違和感、何かもやもやする感じにもなります。では、どうして日記を書くようになったのかなあ・・・。ちょっと振り返ってみました。


1 日記との出会い

 日記というものを書くようになったのは、小学校時代にさかのぼります。
 たしか、3年生くらいでしたか。
 当時の担任の先生が「宿題」として、日記を書かせる内容を出しました。
 
 これが日記との初めての出会いだった気がします。
 
 最初は嫌で嫌で仕方なかったです(笑)。
 簡単に言うと、面倒くさい!そして、何を書いていいか分からない。さらに、言葉がうまく出てこないので、自分で読み返しても、何を書いているか分からない文章ばかり。はあ~。
 
 しかし、そこはさすが先生。
 
 日記を提出するたびにコメントを書いてくれます。自分の母親などは、書いた日記を見ながら、「字が違っている」「漢字を使いなさい」とか、あれこれ言ってきましたが、先生から表記に関しての注意はありませんでした。
 
 小3段階で、字の間違いがない日記なんて書けないと分かっていて、あえてやる気を失わせないように表記に関する注意はしなかったのだと思います。その代わり

「友達とお話した内容(会話文)を書くといいよ)」
「~した時、どう思ったの?詳しく教えて!」
「感じたにおいの事を書いていて素晴らしい!よく気付きました」
 
などと、書き方のアドバイス的な内容も多くあって、次にどう書いたらいいか分かってきて、書きたい意欲が増しました。
 もちろん、日記の内容に対するコメントも書いてあって、自分と先生との1対1のやりとりが、何となく交換日記?のようで、うれしかったのもモチベーションにつながりました。
 
 その後の学年では、宿題として日記を出す先生はいませんでした。
 しかし、「自由勉強」と言う形で、どんな内容でもいいからノートを提出する宿題があった時、自分から「日記」を書いて出すことが増えました。そこでも、各担任の先生が、いろんなコメントを書いてくれて、ますます意欲が増しました。
 特に中学生になった時は、出来事ばかりではなく、ちょっとした自分の悩みを書くようになり、日記を通じたカウンセリングをしてもらった感じです。今思えば、忙しい先生たちが、ちゃんとコメントを書いてくださったことが本当にありがたかったです。

2 日記を書かなくなって
 

 その後、しばらく日記を書くことはなくなりました。受験勉強に忙しかったから?です。
 
 ただ、今思い返すと、日記を書かなくなって、逆に、気持ちの上ではいつもモヤモヤして、暗いハイスクール時代に突入していた気がします。
 嫌な事、悩みなど、自分のネガティブな感情を日記と言う形で外に出さなくなったから、よけいに、心がしんどくなったんだと思います

 その当時は、そんなことに気付きもしなかったので、日記を書く時間に少しでも勉強をと言うことで、ネガティブ感情を抱えながら、うつうつしながら勉強していた気がします。

 現在、精神医学の世界では「日記療法」として、非常に効果が高い治療法として使われているそうです。
 
 日記を書くことで、様々な感情や自分の考え方の癖、欠点などを見つめ、客観的に把握することで、どうするとうまくいくのか、プラスの意味を見出すことなどして、ストレスに対して耐性を付けられます。心のしなやかさをつけることで、折れない心にできるのではないかと思います。

 そんなことを知らない高校時代でしたので、今思えば、常にストレスにさらされ、疲弊していたんだなあと思います。

3 再び日記を書き始めて

 学生時代になり、少し、心身ともにゆとりが生まれました。
 サークル活動も盛んになり、友人も増え・・・と今まで以上に新しい出来事、経験が増え、自然とそれを記録するようになりました。再び日記を書き始めるようになりました。この時は、毎日と言うより、とにかく印象に残った事、自分の感情の揺れを書くことが多かったです。

 さらに、自分の内面のことばかりを書きていましたが、だんだんと「外」の世界にも目が向くようになり、世の中の出来事に対して自分の意見を書くことが増えました。
 日記の中だけで、他の人に公開したわけではないので、独りよがりなものも多かったですが、それでも、書き続けることで、自分が物事をどうとらえる傾向にあるのか、どんなところに光を当てているのか、自分を振り返る事にもつながりました。
 
 そうすると、さらに「映画を見た感想」「美術館に行って思ったこと」「旅行に行って現地で体験したこと」など、自分と世の中のかかわりの中で感じたことも書くようになり、ある意味、自分なりの「感性」を磨いていたのかなと思います。

4 日記を自分なりに深化させて

 社会人になってからも、そのまま日記を書き続けました。
 むしろ、世の中(周り)と自分の思いとのずれに悩むことが多くなった分、書きたいこと、書くことは増えた気がします。

 しかし、仕事の忙しさ加わり、なかなか日記を書く時間が取れなくなりました。

 そこで、書き方を色々と工夫するようになりました。

 もちろん、試行錯誤しながらなので、1週間ほどでやめたこともあれば、1年ぐらい続いた方法もあります。また、各内容によって、手帳に記録することも増えました。
 次のような工夫をしました。

➀書く量を限定する

 思いついたこと、出来事を振り返って、とりとめもなく書いていましたが、思い切って、書く量を5行までと限定しました。あわせて、日記を書く時間を15分までと限定しました。
 限定することで、時間を無駄にしなくなりました。また、無駄にだらだらと書きすぎることを防げました。

②内容を新しい発見やしあわせを感じたことにする

 書く量(時間)を制限したことで、内容も変化しました。
 ただ、自分の不満やネガティブな感情をだらだらと書いても、あまり解決につながらず、むしろ、悩みの堂々巡りになっていました。
 そこで、1日を振り返って、自分が驚いたり新鮮に思ったりした「新しい発見」や、とにかく幸せを感じた出来事を書くことにしました。
 
 いつも悩みを書いていたので、急に転換するのはかなり難しかったですが、1日1個と決めて、時間をかけて数を増やしていきました。
 すると、だんだんと自分の「目」も、「よかったこと」「嬉しいと感じる事」にフォーカスする癖がついていて、意識しなくても、自然と「これは、日記に書くネタになるな」と覚えていられるようになりました。
 
 そして、不思議なもので、良かったこと、幸せを感じたことを書けば書くほど、どんどんと「見つかる」経験をしました。ある意味、引き寄せの法則?かもしれません。

実は、幸せな出来事はたくさん身の回りにあるのに、ただ自分の目が曇っていて、「気づいていなかった」ということかもしれません。

③連用日記にかえる

 日記を書くことが習慣になったころ、「連用日記」に切り替えました。
 
 連用日記とは、1年で1冊と言う日記ではなく、3年日記、5年に気など1冊で何年分の記録ができるようにページ分けされている日記です。毎年、同じ日の記録を同じページに書き込めるようにした日記です。
 
 連用日記の書き始めは、先が長い感じがして大変ですが、1年たち、2年たちすると「前の年の日記内容を読みつつ書く」ことになるので、新しい楽しみが増えます。

 あるいは、自分の成長を感じられたり、

「毎年同じことをしているな」
「去年の今頃は、~だったのか」

と新しい気づきが生まれたりします。
 この時の気付きが、自分にとって大きなプラスになったので、手帳にですが、体重やお通じの様子、運動記録などを記録して、見直す習慣にもつながりました。

5 現在

 基本的に、連用日記をつけています。
 「新しい発見、幸せな出来事」を書くことは変わりませんが、家族の事も記録するようになりました。
 こちらも連用日記として過去の事を見直すことになり、新しい気づきが増えました。例えば、次の通りです。

・2月は、家族みんな花粉症で体調不良が多い。
 不注意になりやすいのか、すれ違いやけがが多い。
 確認や声かけがいつも以上に必要そう。

・寒さ対策の湯たんぽは、時に11月初めに出していた!

・ゴールデンウィークにBBQをすることが多いなあ。今のうちに木炭があるか確認しておこう・・・などなど
 
 まだまだ日記の効用はたくさんありますが、

「楽しみながら書く」「記録を読み返して、将来に生かす」ことに気を付けて書くと、より書く意欲も高まるのではないかと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです。

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