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スピリチュアルを活かして「世渡り上手」に~出来事の受け止め方の変化が心を軽やかにする。

 過去に、カウンセリングを学んだことがあります。

 その時に、臨床心理学の第一人者であった河合隼雄先生(京都大学名誉教授、元文化庁長官)の本をよく読みました。

 河合先生自身は、ユング心理学の第一人者で、日本人として初めてユング派精神分析家の資格を取りました。日本に帰国後、カウンセリングの活動をつづけながら、京都大学などで心理療法について講義を行っていきます。その際、いつも、自分がしている事(心理療法)は「科学」なのかと悩んだそうです。特に、ユング心理学は「深層心理学」でもあり、ユング自身は神話やUFO、シンクロニシティにも言及していて、ユング心理学を学ぶ人の中には、「オカルト」の方向に引っ張られてしまう人も多かったみたいです。そのため、うっかり大学などで「たましい」などと「非科学的な」ことを発言すると、大学で教えることもできなくなるかもしれないと、その話を出すことには、かなり慎重になりました。

 それでも、機が熟するのを見計らって、心理療法やユング心理学について少しずつ世間での認知度が上がってきたことを感じとると、「たましい」「神話」等の話も心理療法と関連させながら発言、発表していきました。
 その中で、1990年代初めに「こころの処方箋」という一般読者向けのエッセイを書かれました。かなり、発言が自由になってきていたころのものです。

「ソウル・メイキングもしてみませんか」

と言う一節に次のような文章を書いています。
 
(自分が死んだあと)
閻魔さんの前に持っていって、これが私のたましいですと示せるもの。そのようなたましいを生きている間にいかにしてつくるか、これがソウル・メイキングである。
ソウル・メイキングは大切なことだ。しかし、このことが気になり出すと、この世での生き方が難しくなってくる。他の人が5年後の自分の地位や財産がどうなっているかに心をつかい、それらをいかにつくってゆくかを考えているときに、何しろ百年後くらいの自分のたましいのことを考えて、それをいかにつくるかを考えるのだから、なかなかペースが合わないのである。
 ・・・
 多くの人から尊敬されている人でも、ソウル・メイキングでは借金だらけなんて人もあるかもしれない。
 
 河合先生自身は、本の中では

「たましいなんてものは、あるのかないのかわからない」
「たましいはあると主張しているわけでもない」
「それがあると考えて、たまにはソウル・メイキングを考えたり、やってみたりするのも悪くないのではないか」

と提案していたようです。
 
 私自身は、このお話を読んだ時、お金を得たり、頑張って働いたり、出世したりと「現実世界」でうまく適応する事だけに必死な時でした。だから、「ソウル・メイキング」と聞いても、ピンときませんでした。むしろ、まじめにしっかり頑張っているからいいじゃないかとすら思っていました。

 しかし、ふと、死んだらどうなるのだろう、死んだら、生きている時に得たもの~お金も地位も、身の回り品だって、きっと「燃やされて」持って行けはしないだろう・・・必死に働いて「もの」を得ることに意味があるのだろうか?と迷う気持ちになったこともありました。
 
 私自身は何か特殊能力があるわけでもないただの凡人であり、別の世界が見えているわけでもありません。

 ただ、

 河合先生の本やユング心理学について学んだことがあったおかげで、現在の「スピリチュアル」に関連する本や話を真っ向から否定することもなく、何となくわかるなあという感じで付き合えるようになりました。

 なので、小林正観さんが

「人生のシナリオは決まっているらしい」
「魂は存在するらしい」

という考えに行きついたことを知っても、「そうかもしれない」と受け止められました。

 あるいは、さとうみつろうさんの「神さまとのおしゃべり」や大木ゆきのさんの「宇宙におまかせで願いをかなえる本」から、「魂の望みを知る方法」などについて知ることもできました。
 
 ある意味、

魂やスポリチュアルについて学んだことで、多少は「世渡り上手」になった気がします。

 あ、「世渡り上手」と言っても、「器用にふるまって、うまく人と付き合い、物事を進める人」という、何となく八方美人的という意味ではありません。
 試練やつまずき、困難なことに対して、「問題」「失敗した~」ととらえるのではなく、「自分に必要なことだった」「経験できたことが大きな学び」「神様からの試練だったんだ」というような受け止め方で、ネガティブな経験をしても、軽やかに明るく受け止め、それでもちゃんと地に足をつけて前進していくという意味での「世渡り上手」です。
 
 バランスが大切ですが、あまりにスピリチュアルにはまり込み、誰かを「教祖様」的にあがめてしまっては、自分軸で生きられません。

 それも一つの他人軸となり、スピリチュアルで目指す生き方と矛盾してきます。
 
 また、この世での生き方(この世の価値基準を踏まえた生き方)が難しくなります。

 かといって、お金、出世・・・など現世的な成功だけ追い求めてもきりがありませんし、いつか寿命も来ます。

 結局のところ、2つの見方を知りながら、バランスよく生きることが「世渡り上手」となるのかもしれません。

 私自身は、河合先生や小林正観さんの考えやスポリチュアルな考え方を知ったことで、物事の見方や受け止め方が少しは柔軟になったと思っています。
 そして、何よりとても生きやすくなりました。


 余談ですが、世界保健機関(WHO)が健康について定義を出しています。
 発足以来、定義の内容も変遷してきています。1998年には、定義の文言の中に「スピリチュアル」「動的」を加えた新しい定義が検討されました。宗教的な意味合いを避けたいという動きもあって、採択が見送られた歴史があります。

「健康とは、病気ではないとか、弱っていないというということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」が今のところの健康の定義です。


 スピリチュアルな考えや見方などが、「満たされた気持ち」を大きくして、自分の精神(心)の健康を支えてくれる面は多々なりともあると経験的にも感じています。
 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです 

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