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人生の全肯定~Mrsの「僕のこと」と小林正観さんの言葉から

 ここ最近、音楽から遠ざかっていた私ですが、以前、ずっと気になっていた「ケセラセラ」を聞いた時の感想や考えたことを記事にしました。 
 この後も、Mrs.GREEN APPLEさんの曲自体が気になり、いくつかの曲(MV)を視聴する機会が増えました。
 
 最近のお気に入りは「僕のこと」です。

 この曲は、第97回(2019年)全国高校サッカー選手権大会の主題歌にも選ばれた曲です。やはり、「ケセラセラ」同様、ボーカルの大森さんの高音をはじめとした歌唱力もさることながら、その歌詞が胸に響き、何回も聞いてしまいました。
 
 誰しもが人生で葛藤し悩み、がむしゃらに頑張っているのに結果が出ずにもがく日々もあります。その時々では、自分を、自分の人生を否定してしまうこともあります。
 それでも「なんて素敵な日だ」と全肯定する歌詞が、何回聞いても、胸に染みてきます。

 ああ なんて素敵な日だ
 幸せと思える今日も
 夢敗れ挫ける今日も
 ああ 諦めずもがいている
 狭い広い世界で 奇跡を唄う
・・・
 
 ああ なんて素敵な日だ
 誰かを好きでいる今日も
 頬濡らし眠れる今日も
 ああ 嘆くには程遠い 
 狭い広い世界で 僕らは唄う

 僕らは知っている
 奇跡は死んでいる
 努力も孤独も 
 報われないことがある
 だけどね それでもね 今日まで歩いてきた
 日々を人は呼ぶ
 それがね 軌跡だと

 ああなんて素敵な日だ
 幸せに悩める今日も
 ボロボロになれている今日も
 ああ 息をしてもがいている
 全て僕の事 あの日の僕らの事

 さらに、私は、歌詞の意味を考えていたら、小林正観さん(旅行作家、心理学博士、教育学博士)の言葉を思い出しました。

 正観さんは、ご自身の経験や数多くの人の人生相談、事実を積み重ねての検証から、どうやら

「人生のシナリオは決まっているらしい」
「魂が存在するらしい」

という考えに行きついたそうです。
 そして、魂に関してこんなことを言っています。

 人それぞれの困難をくぐり抜けて生きています。
 人には各々の修羅場が人生の中で用意されています。
 ちなみに「修羅場」の数は、輪廻転生の数に比例しているらしい。魂が何度も生まれ変わりを繰り返してきて、だいぶレベルが上がってきた、そういう人ほど、「修羅場」の数も増えているという構造になっているようです。
・・・
 病気、事故、離婚、倒産・・・・。そのような困難を体験したら、人は以前より、「やさしさ」を身につけるかもしれません。
 修羅場をくぐり抜けてきた人たちは、以前よりも「魅力ある人」と思われるようになっていくのかもしれません。

人生のシナリオを輝かせる言葉

 私はただの凡人なので、魂があるのか分かりませんし、別の世界が見えているわけでもありません。できれば修羅場は経験したくないですが、それをくぐりぬけることで、得られることがあると知っているだけでも、少しは覚悟して前に向かっていけるかもしれないなと思います。
 
 そして、正観さんの言葉や「僕のこと」の歌詞から、お金をいかに稼ぐか、出世するか、勝利する、~するのがいい人生・・・という「この世の価値基準」に合わせる生き方ではなくて、

失敗や成功、優劣を超えた「わたしにしかできない経験」が大切なのではないかと思えました。そして、それが「魂にとっての学び」につながるのではないか・・・

とも。

魂の視点で考えると、どういう人生を歩んだとしても、極論すれば、死を迎えるまで生き続けたこと自体で、100点満点なのかもしれません。

 もちろん、何かを成し遂げよう、名や記録、生きた証を残す、やりたいことをすべてやり切りたい・・・という気持ちもあると思います。
 それでまっすぐ生きられるなら、それはそれでいい。
 
 でも、そうできなくてもいい。
 ぐずぐずしている人生も、一つの経験。
 ちゃんと、最後までぐずぐずしながら慎重に生きていければいい。
 
 「平凡な人生」も、一つの経験。
 ちゃんと、絵に描いたような平凡な人生を生き切ればいい。
 
 魂の視点からすれば、みんな同じように素晴らしく、尊い価値がある。
 すごいことをしないと、生きている価値がない訳じゃない。

 「人間をやっている」こと自体が、すでに「魂の望み」を実現していることかもしれません。

 
 「僕のこと」の最後は、こう結ばれています。

 僕と君とでは何が違う?
 それぞれ見てきた景色がある
 僕は僕として いまを生きてゆく
 とても愛しいことだ

 よかったら「僕のこと」、聞いてみてください。
 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
 

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