新しい読書会に参加しての学び~大人になるための儀式、お寺の役割、子どもの夏休み
先日、新しい読書会に参加しました。
前回、読書会に行くまでの事を記事にしました。今回は、実際の読書会の様子、学んだことについて書いてみます。よかったら、お付き合いください。
1 会の進行について
今回の読書会は、部屋に集まっての会
でしたが、聞くところによると、コロナ禍を経て、普段は月1回、オンラインで読書会を行っているそうです。でも、進行などは変わりなく、次のように進めていました。
・姿勢を正して(腰骨を立てて)、瞑目。
・該当ページを輪読。1段落ずつ交代で読む。時間があれば2回り。
・その後、一人ずつ、読んだ感想を述べる。
・司会の人が感想を受けて、少し話題を広げてくれるので、その中で、言いたいこと、思いついたことがある人は感想の感想を話す。
・最後は、記念写真を撮り、部屋の後片付けをして終了
休憩をはさんで2時間半ほどの時間でしたが、あちこちから出てくる感想の感想、話に、聞きながらメモしているだけで、あっという間に時間が過ぎました。
2 テキストに書かれてある内容から
こちらの読書会のテキストは最近、令和の時代になって発行された「続 修身教授録」(森 信三著)でした。私は、まだ持っていなかったので、該当ページがコピーされた紙をいただいての参加でした。
今回は、第14講「夏休みについて」と言う内容でした。
読んで私が気になった文章は次の通りです。
・どうもわれわれ日本人としては、志を立てる理想の年齢は、大体、15歳前後ではないかと思います。孔子も「十有五にして学に志す」と言われ、また橋本佐内先生も15の年に、その「啓発録」において、その立志の覚悟を述べていられます。
・わが国では、古来15歳を似って「元服」の式を挙げて、一人前の人間として扱ったのであります。
・どうも近頃の教育は、生徒をいつまでも子ども扱いしているために、いくつになっても人間が確立しないのです。
・何とっていっても読書でしょう。
実際、書物を読まないで志を立てるということは、いわば鉄砲なしで鳥を射落せというようなもので、とうてい出来る相談ではありません。
・志が立ったならば、自分の友人の中で、一番自分の気持ちをよく理解してくれる友人を訪ね、ひそかに自分の志を語って、いわゆる同志として共に歩む人間を作るのも一つの方法でしょう。修養とか求道というものは、もともと一人で始めるべきものでしょうが、しかしまたわれわれ凡人としては、道友合励まし合うことによって、大いに力を得るという一面もあるからです。
・わたくしの場合には、近くのお寺の部屋を借ります。朝ご飯を食べたら、6時半か遅くとも7時ごろまでには出かけて行って、大体午前中を読書に費やすのです。・・・
午後からは家の手伝いとか、あるいは水泳その他の運動をするなど、午前中は頭を使って、午後は肉体を使うという風にしますと、夕食でもすめば、いかに蒸し暑かろうが眠気を催してきて、床につけばすぐに眠られます。
この講義は、今から約70,80年前のものですが、今に通じる内容も多くあるなと思いました。
現在は成人として、20歳、18歳といろいろと定められていますが、「大人になったなあ」と実感したのは、もっとその後だった気がします。就職したり、一人暮らしを始めたり、恋人ができたりと、人生の節目、特に「一人前扱い」あるいは「自分で責任を持つ」というような機会があって、「気持ちも引き締まる」という感じでした。なので、ただその年齢になったから、大人になったという感じではありませんでした。
実際、未開社会では、イニシエーション(通過儀礼)が行われ、それこそ、死ぬような経験を潜り抜けて、初めて「大人」として認められるそうです。それは、抜歯だだったり、動物との闘いだったり、かなりハードな、そして痛い思い、死ぬような経験をします。
「文明社会に生きる」私達からすると、なんともひどいとか、野蛮とかと簡単に言ってしまいますが、
「子供の自分が死んで、大人として生まれ変わる」という意味合いは、学ぶことも多いいなと思います。それぐらいのことをしないと、心理的には、大人になり切れないのかもしれません。
考えてみたら、「若い時のムチャ」、一歩間違えば、死ぬかもしれないようなことを「平気で」していたのは、「(大人に)生まれ変わりたい」という無意識の表れ、儀式だったのかもしれません。
森先生は、読書の重要性をといています。
自分の考えを持つ、作ろうにも、元になることが無ければできません。
アウトプットもスカスカになります。
やはり、はじめはインプット、多くの知識を得ることが重要です。
その知識がつながって知恵にもなりますし、新しい考え、アイデア、発想も生まれます。
インプットの一番の方法が、読書です。
ただ、現在は、ある意味、本に限らず学ぶ(インプットする)ツールがたくさんあります。
テレビの特集、NHKのEテレ、YouTube。
インターネットを検索すれば、自分で世界の最新研究、論文すら読めたりします。
日本は世界的に見ても、参考書、テキストの質や量がトップレベルなのだそうです。独学できる環境はかなり整っています。恵まれています。
余談ですが、小林正観さんは、本を2万冊は読んだそうです。
たくさんの本を読むと、頭の中でいろいろな話が有機的に結合してくるので、情報がどんどんと繋がってくるといいます、そして、そんな面白い情報をどんどんと人に伝えていたら、自分が面白い人、魅力的な人になるし、そのおかげか皆が集まってくる、ある意味「惚れられる」と言っていました。
3 参加者の読後感から
本当に面白かったです。
それは、感想の感想、あちこちから、いろいろな経験談、考えが語られたからです。
参加メンバーは、退職した方もいれば、スーパーでパートをされている方もいます。会社役員と言う方、教員の方もいます。本当に、いろいろな職種、立場の方がいて、自分が「知らない世界」の話がポンポンと飛び出してきたからです。
私が気になった話は次の通りでした。
・森先生が、近くのお寺の部屋を借りて勉強・・・と言うような話がありました。私が子供のころ、4月8日だったかな?お釈迦さまに関わる日に、お寺から「甘茶」がふるまわれて、よく出かけた思い出があります。昔は、地域でお寺を使った肝試しやちょっとした合宿もあったかな。今よりも、お寺と地域の人との交流、関わりが多かったです。考えてみれば、「寺子屋」と言われるように、大昔でも、お寺は、学校替わりで、ある意味、文化の中心地的なところもあったのかもしれません。今、現在はどうでしょうか?
・夏休みに、外で遊ぶ子を見かけなくなりました。
もちろん、昔とは質の違う、危険な暑さで、外で運動、遊ぶことすらできない時代と言うこともあります。また、塾、習字、英会話・・・いろんな習いごとに行っていて、時間がない子も多いみたいです。夏「休み」なのに、ちょっとかわいそうかなと言う気もします。
・外で遊ばない子と言う話ですが、「ゲーム」も一因かなと思います。
コロナ禍の中で、オンラインゲーム、自宅に居ながらにして、ネットで繋がって、ゲームで遊べるようになったので、もちろん、暑さもありますが、涼しい部屋でずっとゲームや動画を見ている子も多いみたいです。いや、それはうちの子ですが(笑)。
・コロナ禍を経て、学校内でも、見直しがなされました。特に、行事などが「本当に必要なものかどうか」と。
なので、所によっては、今まで当たり前に(昨年通り、前例通り)行っていた運動会を短縮(午前中だけ)にしたところもありますし、遠足として1日がかりの内容だったものが、校外学習として、半日、その見学時間だけとなったところもあります。
夏休みの宿題に、習字や絵などの応募作品が出されているところもありましたが、「自由参加」となったり、宿題の量が減ったり、タブレットのアプリとして出されることがあったりと、いろいろと変化しています。もちろん、それがいいかどうかは、今後も検証が必要なのだとは思いますが・・・。
これらは、参加者の個人的な感想、経験をもとにした発言なので、どこでも通じるような内容かはわかりませんが、
一つの事実として、いろいろと考えさせられました。自分の子供の頃を思い出したり、自分の家族の事を考えたり、話から刺激を受けて、あれこれ、普段考えないようなことを考えられたということに、大きな意味があった
のかなと思っています。
そういう意味でも、コンフォートゾーン(快適領域)を抜け出して、少しドキドキ、「こわいな」と言う思いはありましたが、参加できてとっても良かったです。自分にとってもプラスになりました。
また、参加してみたいなと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心にのこる一言・学びがあれば幸いです
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