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公立の中学校で留年した話。

不登校になってしまい悩んでいる方や、病気やケガ等で学校へ通えなくなってしまった方、様々な事情で学校へ行けない方、もしくはその親御さん。
一度この記事を読んでみませんか?


私は中学生の頃、留年しました。

高校や大学で留年を経験なさった方は多少なりともいらっしゃるかと思います。
今回この記事を書くにあたり調べてみたら、私立中学校では学力や出席日数が規定以下の場合、留年になる可能性があるとのことでした。

しかし私は公立中学校に通っていました。
公立中学校では基本的に留年することはありません。

実は私は、自ら望んで留年したのです。

では何故そんな事になったのか…
私の波乱万丈な人生の一部をここに書かせていただきます。




そんな私の中学生時代は、不良少女だったわけでもなければ授業態度に問題があったわけでもありません。
ごく一般的な、運動が大好きな女の子でした。

私は中学2年生の時に、原因不明の病気になりました。
毎日毎日、全身の激痛と戦っていたのです。
(後に線維筋痛症と診断されました。とにかく体中が痛い病気です。)

半年ほど入院して、2年生の冬頃に学校へ復帰することになったのですが、当時はまだ歩く事ができず車いす生活を送っていたため、学校の階段が上れない事が一番の支障になっていました。

私の出身校は3階建ての校舎で、1年生は1階、2年生は2階、3年生は3階の教室という決まりです。
発病したのが2年生なので、当時は2階に自分の教室がありました。

復帰するにあたり担任の先生や校長先生と話し合いをさせていただき、階段の上り下りの際はその都度手の空いている男性の先生方が車いすごと持ち上げて階段を上らせてくれる事になりました。
私は有り難さと共に、申し訳なさと自力で上れない事への悔しさでいっぱいでした。

いよいよ復帰初日、私はまず車いすで職員室へ行き、一番近くにいた先生に階段を上がって教室へ行きたいと伝えました。
すると奥にいた体育の先生(男性)が快く承諾してくれて、それに続いて他の先生方も手伝ってくれる事になりました。

そして問題の階段の前に着き、男性3人で私を持ち上げてくれたのですが…

なんとその瞬間、遠くから見ていた同じクラスの男子生徒が走ってきて手伝ってくれたのです。
私は驚きつつしっかりとお礼を伝えると、

「またいつでも手伝ってやるよ。」

と恥ずかしそうに言ってくれました。
私は嬉しくてたまりませんでした。心から感謝しました。

ところが復帰したは良いものの、半年以上も休んでいたため授業についていけません。友人たちの会話にもついていけません。
そんな日々の中、階段の上り下りも自分でできず毎回先生方や男子生徒たちを頼らなくてはならない状況に申し訳ない気持ちでいっぱいで、そしてその気持ちはだんだんと大きくなっていきました。

階段の上り下りを手伝うことに対して周囲から嫌な顔をされたことは決して一度もありません。
それでも私は、学校にいても悩み、家にいても悩み、遂には学校へ行きたくないと思うようになってしまいました。

日を追うごとに学校を休むことが増え、とうとう殆ど登校しなくなりました。

(このままじゃダメになってしまう。)

(本当は友達と会いたいのに…)

(勉強だってしたいのに…)

そう思っているのに体がついて来ず、勉強に至っては‟今から取り戻すには遅い状態“になっていました。

そしてそのまま3月入り、このままでは4月から3階の教室へ行かなければならなくなるという悩みまで増えてしまい心が折れそうでした。

(一度担任の先生に相談してみよう。)

と心に決め、次に登校した時に勇気を出して相談してみました。

すると先生から返って来た言葉は信じられないものでした。
なんと3年生になったら私たちの教室を1階に変更すると言うのです。
それに伴って1年生は2階、2年生は3階へと変更すると言うのです。
3年生は3階という固定観念にとらわれていたので、私にはとても衝撃的でした。

担任の先生はとにかく私の悩みを取り除こうと考えてくれていたのでしょう。校長先生の許可も既に取っているようでした。もっと早くに相談していればよかったと後悔したほどです。

そうと決まれば私の悩み事は一つ解決します。くよくよしてばかりではいられません。4月からに備えてしっかり勉強も頑張らなければ!と思い始めました。

そかしその数日後、事件は起こりました。

3年生になれば教室が1階になる旨を聞きつけた同学年の一人が、反対運動を起こしたのです。
「1階の教室反対!」
と書いた用紙を学年全員に配り、署名活動を始めました。
そしてそこには過半数の生徒の署名があったのです。

今になって思えば、中学生にとっては学校の中でのことが全てであり、3階の教室へ上がることはステータスのようなものだったのでしょう。
私にも気持ちは理解できました。反対運動を起こした生徒に対して怒りなどのマイナスな感情を抱くのもお門違いです。
それでも、突き付けられた現実がとても悲しかったのを覚えています。

誰が署名したのかわからなかったし、教室でもなんとなく気まずい空気が流れてしまい、また周りの友人たちと距離ができてしまいました。
(正直に話してくれたクラスメイトもいましたので、そこで反対運動が起きたことを知りました。)

過半数の署名があっては学校側も対応しなければなりません。
今まで通り3年生は3階でということに後戻りしてしまいました。

私はつい、担任の先生に弱音を吐いてしまいました。

「ただ学校で勉強がしたいだけなのに…遅れを取り戻したいだけなのに…友達と仲良くしたいだけなのに…」

自然と涙が溢れてきて、きっと先生も困ったことでしょう。


そんな事態が急変したのは、その翌日でした。
担任の先生はまたしても私の悩みに応えてくれたのです。

「もし楓さんさえ良ければなんだけど、勉強の遅れを取り戻したいのなら留年することも出来るみたいなんだ。お友達とは離れちゃうけどあと1年は階が別々になるだけだし、もう一度2年生をやり直すなら2階までしか上がらなくていいから気持ち的にも楽じゃないかな?」

留年?私が?中学校で?留年って高校生からの話じゃないの?
聞きたいことがありすぎてポカーンとしている私に、

「まあ、そういう選択肢もあるってことだよ。親御さんともしっかり話し合ってね。」

なんて良い先生なのでしょう!


私はすぐに母と話し合い、自ら留年することを決めたのです。

もちろん不安はありました。
一つ下の子たちと仲良くなれるのか。
白い目で見られたりしないか。
留年しても2階に上がらなければならない事に変わりないじゃないか。

それでもこのまま3年生に上がるよりは良いと思い、決断したのです。

そして留年した結果、新たなクラスメイトは仲良くしてくれて、誰一人として悪い噂を立てる人はいませんでした。階段の上り下りも快く手伝ってくれる優しい人たちばかりでした。
勉強も無理なく追い付けました。

悩みが減ったお陰か病状も少しずつ回復していき、杖で支えながら自力で階段も上がれるようになって、卒業する頃には楽しい学校生活だったと思えるようになっていました。

自分が通う学校の先生と生徒たちを信じて本当によかったです。



冒頭にも書きましたが、私と同じように病気や怪我で学校へ行けなくなってしまった方、いじめ等で不登校になってしまった方等。あまり知られていませんが公立中学校でも留年することができます。そういう選択肢もあります。
きっと不安はあると思いますが、社会に出てしまえば1年の遅れなんて大したことではありません。1年の遅れなんかよりも、もっと大切なものがあります。

もしかしたら学校からはこう言われるかもしれません。

「我が校では前例がないので出来ません。」

前例は作ればいいのです。誰かが行動しなければ前例なんてありませんから。

私は運よく先生や友人たちに恵まれていましたが、助言してくれる人とまだ出会えていない方、自分一人では判断できずに今現在苦しんでいる方、そんな方々へ一人でも多くの方にこの記事が届けば幸いです。

終わり


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