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自己紹介〜すべてはalright #6 上には上がいて、下には下がいる。そしてそんなこと、どーでもいいと思ってるやつがいる

田中弥三郎と申します。ギリ昭和、ゆとり第一世代の男です。鍼灸マッサージ師として働いています。

noteを始めて、日々の学びの大切さと喜びを改めて実感しています。

仕事の日々の中で気付いたことや参考になったようなことを発信して、私も誰かのお役に立てたらと思っています。

そのためにまず、私の経験してきたことをお話しすることで、私のキャリアと知識の棚卸しをしたいと思います。


今回は

「上には上がいて、下には下がいる。そしてそんなこと、どーでもいいと思ってるやつがいる」

です。

前回の記事で、保育所から小学校までを振り返りました。調子にのって、中学高校から専門学校までを振り返ろうと思います。

少しずつ見える世界が広がってくる、多感な時期ですね。親戚のボーイズも14歳と12歳、自分の頃と比べては時代の変化に驚くばかり。私なんかよりよほど、世間をちゃんと見ていますね…


中学〜高校

有り難いことに中学受験をさせてもらって、環境を変えることができました。
疑心暗鬼のカタマリのままではありましたが、浮くでもなく目立つでもなく過ごしていました。
郊外の私学でしたので校舎は広いし建物もキレイで、掃除のおばちゃんが廊下を掃除してて。
すげーなーっと思っていました。

両親はお金のことはほとんど口にしないでくれたのですが、大人になって学費を聞いて愕然としました…
母が図書館を絶賛してたのも今なら分かるし、惜しいことしたなぁと思います。

小学校でのトラブルから大して学べておらず、人に対してイヤなこと言うのは治っていませんでした。ですが幸い?にも、もっと勉強のできる子が多くいて私のレベルでは威張る場所がなかったのです。 

「上には上がいるもんだ、敵わない」
と思うだけで、努力らしい努力はしませんでした。せめて努力だけでもしていれば、学べたものも多かったろうに。

大して勉強ができるでもなく、相変わらず運動は苦手なまま。
露骨なスクールカーストはなかったと思いますが、あったとしたら下位の方でしょうね。穏やかな子が多かったんでしょう。
やっぱり恵まれてますね。

運動は苦手なままでしたが、私よりも持久走の遅い子が少ないながらいました。下には下がはいるもんだ、というのも実感したわけです。
同時に、スポーツに打ち込んでる同級生のスゴさにも触れて驚きました。陸上でも、サッカーでも柔道でも、次元が違うというのでしょうか。努力する子とは、差が開いて行くのだと見せつけられましたね。

この頃から、自分には何ができるのだろうかと考えるようになっていました。考えたところで自分には特別なにが出来るわけでもないし、相談するほど親しい友達もいない。かといっていい大学を目指して努力するほどの熱量もない。どうしたもんかともやもやする毎日でした。

模擬試験で志望大学を書くことになっても、大学の名前もわからないし学部なんて余計にわからない。
仕方ないので志望大学の一覧表を眺めてたところに、鍼灸大学の文字を見つけたのです。

幼少期の病気の経験から、漠然と医療業界への憧れがありました。かといって医者になるほど賢くないし、看護師や薬剤師はピンと来ない。そんな私にはピッタリだと思いました。
そして、偏差値も決して高くない。ここは大事なところです。サボり癖のついた私でも大丈夫そう。模試の結果でも安全ライン。
決定!!鍼灸師になります!!
「偏差値を上げる努力を放棄した、逃げの選択じゃないのか?」
親には1度だけ聞かれましたが、その要素も無きにしもあらず。でも、本当に興味はあったので。

そこから鍼灸師になるための学校を選びましたが、説明会に行ったのは大手の2校だけ。説明会の雰囲気だけで決めました。試験を受けたのもたった1校だけ。
試験は現代国語と小論文。どんな小論文なのかは不安でしたが、
『鍼灸マッサージの勉強をする意義は?』みたいなものでした。とりあえず書けるだけのものを書いて、結果は無事に合格。二次で面接も受けましたが、こちらも合格。鍼灸専門学校に入学できることになりました。
自分のことを書いてるのに、なんと安直なことか……

これが多分、10月半ばごろだったと思います。

合格してしまえばあとは普通に卒業するだけ。他の子たちはみんな受験に向けてフルスロットルで勉強する時期に、早々と進路を決めた私はひたすらダラケていました。
パッと見はマジメにしていましたが、週一くらいは学校をサボってみたり。授業も身が入らないのでほとんど寝てたり遊んでたり。
幼少期からのサボり癖に、サボれる免罪符を得たことでとことんラクなほうに流されていました。
かたやクラスメイトは受験勉強に必死で、ダラケてるようなヤツには目もくれません。めちゃくちゃ目障りだったと思いますが、イジメないでくれて感謝ですね…

これで進学して、痛い目に遭うんですがね。


彼女ができた

中学から高校にかけては、当たり障りなくやり過ごしたつもりです。中高一貫校でしたし。
が、1つだけ大きな出来事がありました。

彼女ができました。
今の妻です。

出会いは知り合いの知り合い、みたいな感じです。最初はメル友(古い!)状態でしたが、びっくりするほど意気投合して。
気が付いたらお付き合いが始まっていました。

いま考えても、あの当時の私なんかと付き合ってくれたのは本当に謎です。
のちに聞いてみたところ
「誰と話すよりも自然でいられた」
とは言ってくれました。
あなたとの出会いには感謝しかないです。


専門学校に入学

のらりくらりとダラけつつ、専門学校に入学しました。1年の時は授業が午後からの日が多いです。
真面目な子は、その時間を修行という名のバイトに充てて頑張ります。
サボり魔の私は、
「学校に慣れるまでは〜」とか言いながら、1年の時はダラけ続けていました。
自分の中ではそれなりに真面目に勉強するつもりでもいたんですが、なにせ筋金入りのサボりグセが付いています。(それなりに)真剣に勉強したいのに、集中力が全然続かないのです。
これには困りました。てきとーにやっていれば、それなりの点数しか取れません。高校はそれでも進級できましたが、専門学校ではそうはいきません。
落第手前で追試になり、1回目と同じ問題の追試で1回目と同じ点数を取りました。
「イケるやろー」と高を括ってたらやらかしました。

追試でも基準点に届かなかったのは私だけ。
温情で追々試をしてもらい、その時ばかりはちゃんと本当に勉強して、落第は免れました。

ここまで来て、やっとこさ己のサボりグセを自覚・後悔することになります。
2年生になる頃には、さすがに危機感を持ちました。とは言え授業をちゃんと聞くだけの集中力がないので、開き直ってテスト対策に全振りします。
それでそこそこの点数を取れたことで、
「どうにかなるやん。これでオッケー♪」
「僕はやればデキる子やから☆」
なんて言いながら、授業は寝て過ごすことも多いままでした。

3年になると、授業は国家試験対策が中心になります。問題を解いているほうが眠気は出にくいので、私には気楽でした。
国家試験は当時、4択の問題だけでした。繰り返し過去問を解いていれば勝手に頭に入ります。
「やればデキる子やから☆」冗談で言ってたのを、自分で本気にするようになっていました。
ハナから試験対策に全振りしている私にはピッタリだったのです。
おかげで卒業試験、国家試験ともに無事に合格。
正式に鍼灸マッサージ師となりました。

変な人ばっかりやん!!

専門学校は、26人のクラスでした。そのうち男性が20人、女性が6人。高卒すぐに入学したのは6人でした。
年上のクラスメイトが多い環境で、みんな大人なわけです。私のような生意気な者がいたところで、大して気にしません。それが本当に有り難かったです。
スネてひねくれてるだけですが、変に絡んでこられると噛み付いてしまうので放っておいて欲しいんです。有り難かったです。

そしてそれ以上に有り難かったのは、変な人ばっかりだったことです。もちろん、自分も含めてです。
褒め言葉みたいなもんです。

小中高と過ごしていく中で、どこか居心地の悪さを感じていた私には衝撃的でした。少々マイペースなことでも、誰も何も言ってこないし、気づいてもいない。
マイペースどころじゃない謎の人達がいっぱい居るので、目立ちもしない。

「こんなに自由な大人がいるのかぁ」
「高卒の自分が言うのもおかしいけど、この人コレで大丈夫なんか?」
「授業で熱心に質問してるくせに、結構な割合で寝てるけどどうなってるん?」
「人と話すときに突然、空手の型を始めるなや」
こんな感じです。

「ここに居てて、いいんやぁ……」
って気持ちになれたのは、嬉しかったですね。
意味なく苛立ったり、反抗的になってたのも自然と治まっていきました。
初めて学校に、いい思い出が出来たときでした。

みんな個性的でマイペースで、でも基本的に無害でいい人ばっかりで。
それぞれが思うものを持ってる人たち。
自分は自分だから、他の人と違ってもどーでもいい、と開き直っているような。
『変なやつ同士、お互いさま』
みたいな空気でした。
ほんと、居心地よかったなぁ。
クラスメイトの皆さん、その節はお世話になりました。感謝申し上げます。


バイト、そして修行

少し時間が前後します。

サボり魔の私も、さすがに2年になる頃にはバイトを始めました。お小遣いも欲しいですし。
全国チェーンの蕎麦屋さんの厨房に入りました。
ここでも気分屋を発揮しつつ、ときどき叱られながらも真面目にバイトに精をだします。
厨房の仕事も面白かったですね。基本的にお客からは見えないので、あくびしてても問題ないですし。

同年代のバイト仲間にはビミョーに距離を開けられていましたが、鍼灸師の専門学校の空気感に慣れてたので、別にどーでも良かったです。
仲良くしてくれた子もいましたし、おっちゃんおばちゃんのバイト・パートさんには可愛がられてました。
バイトの仕事で来てるだけだし、合わない他人様などどーでもいいと開き直っていられました。
厨房の仕事はキツい部分や危ない部分もありましたが、いい経験になりました。

そして3年になり、いよいよ鍼灸マッサージ師の仕事をしようと考えます。
求人のフリーペーパーを見て、最初に電話をかけたのが今の職場です。その日のうちに面接を受けて、蕎麦屋のバイトを辞めるまで一か月の猶予をもらって採用が決まりました。
あまりの急展開に、家に帰って1人で泣いてしまいました。まだ見ぬ不安で泣くなんて、初めてのことです。
そこからあっという間に一か月が過ぎ、初仕事の日がやってきました。

当時は学生で授業があったので、午後診だけの勤務でした。
初日はとりあえず流れを見ておくように、と言われて患者さんに挨拶だけの仕事です。
初日の終業後、思いっきりドヤされました。
「お前の仕事はなんやねん」
「お前に出来ることはなんやねん」
「挨拶しか出来へんなら、全力でせんかい」
自分としては、結構頑張ってたんですがね。
でもド正論ですし、他のスタッフよりも出来ていないことは事実です。
そこからは真面目に頑張りました。学生の身分ですので挨拶と診療補助業務ですが、自分なりに精一杯やりました。
でもここに来てまた、サボりグセが災いすることとなりました。


長くなってきましたので中途半端ですがここらで一段落入れます。次回は修行から新米時代のことを書きます。

専門学校の空気感は本当に独特で、敷地内の別棟にある臨床検査技師のクラスとは風貌や雰囲気も違っていて面白かったです。
専門学校という場は、好きなものの共通項がある点でヲタク気質の人間には良い環境です。
色んな世界がありますので、居場所が見つからないならそういうのもアリだと思います。
ただ、専門学校で身につけたスキルは潰しが効かない事が多いです。決して安くない学費と年数、大事に考えてもらえたらと思います。



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