(#185)大人にも子供にも大切なこと:答えあわせをしない習慣
昨日記事を書いたちきりんさんの著書の読書noteで触れ忘れたことがあるので、追加で発信をします。
○正解のない問題の答えあわせ
何かというと、自分の意見について「答えあわせが必要な人」と「答えあわせが必要ない人」がいるという事実。
みなさんどちらでしょうか?
私は過去、前者の傾向を引きずって生きていた人で、今も油断するとふとそちらに流れがちな時があります。
なぜかというと、おそらく、自分の生い立ちとかの影響もあるのかなと思います。
著書の中でもでてくる学校的価値観(正解とされている行動を取ることを求める同調圧力)に浸ってきたことに加えて、大学選びや新卒での会社選びも結局、良い子であること(親のいうとおりにしていたら間違いない)で、正しかろうというスタンスを取っていました。もはやこの時点で他責なんですよね、それに気づいていないので苦しくなると逃げたくなるわけです。
その後も、世間的に良いとかすごいと思われる企業に入ることを目的にした転職活動を継続した上で、ようやく自分の頭で考え抜いて自分の生きたい人生ってどんなものなのかを考えて今の環境に身を置くことになっています。
そういう意味だと、軸のない転職回数が多いという考え方ではなく、紆余曲折絵ながらも良い子思考から脱却して自分の人生を歩み始めた人という捉え方もできない訳ではないですね。
さて、そんな話はさておき、意見の答え合わせってなんのことか?
先日の記事でも触れた「答えのない問題」に対して、誰かに背中を押してもらわないと不安で本当に自分が思ったことを言えない状態のことです。
自分はこう思う!!…んですけど、どうでしょう?とか。
ちきりんさんも著書の中で答え合わせを求めたくなる人はタイムリーに背中を押してくれえる人や本に出会えると問題ないものの、その機会がないと時間を濃飛してしまうと言及されています。
この答え合わせを求める状況が習慣化してしまうと、自分の自我が確立できず、どう生きていきたいか?や確固たる意見が持てない状態になってしまいます。
○子供にとって大事なこと(大人も)
幼稚園児なんか見てると自我の塊ですよね。
次男に何が一番美味しいと思う?と聞いたら、「絶対チョコ、神」という返答が返ってきました。
大人になるにつれ自分の意見をもつことに対して、正しく議論できない環境が非常に多く、特に大人になって議論をしようという時に違うだけの意見を職位の高低で優劣つけてしまうなんていう恐ろしいことが世の中どこでも起こっているわけです。
子育てでは自分の意見をきちんと主張できること、それは怖くないんだよということを教えてあげることって重要ですよね。
親の方も意見は多様性の源泉である(人によって思うことなんて違うんだから、正解のない問題に対して異なる意見を否定したり、わざわざ反対!って言わなくて良い)ということを肝に銘じておくと良いですね。
著書の中でも紹介されていますが、この答え合わせ欲求が強くなって思考停止すると詐欺師や宗教に頼ってしまうみたいなことが起こりえます。
世の中は正解のない問題で溢れている!正解のない問題に正解を押し付けてくる人は詐欺師だ!というくらいの気持ちを持つことは結構大事なのかもしれません。
それでは!
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