私は愚痴る。
#鬱気味観察日記
人によっては精神安定剤は悪とされる(Xにてボヤき済み)。
そんな人に、薬を辞め運動をするよう勧められる。運動は服薬のそれ以上の効果があるのでそれをしない人は一生治らないと結ぶ。
この精神安定剤は症状を緩和する補佐であり、メインとなる主体の自分がそこからどう生きていくのかを主治医の元で模索(認知療法、行動療法、暴露療法他、ほかは分からないが)していくのが一般的で、自分の思考の歪みやマイナス要因を正す工夫を時間をかけて行っていくもので、それは簡単には治らないのも精神疾患の特筆だと思うのだが、当然ながらその経験もなく服薬を悪だと思う傾向の人からは必ず私は批判される。
「人の話を聞かないから、いつまでも治らないんだよ。」
人は時に話を聞かねばならん事は多々ある。仕事、組織、家族関係、友人関係、町内、国際的な事だったり。私はそれなりに話は聞いている。だがしかし、薬を辞める事のメリットを言うこともでもなく、私が(相手にとっては許し難い)反論している時、どうしても言葉の圧力でねじ込ませようとするきらいがある。
貴様の言うことを聞かなかっただけで、これまでの私が誰の言うことも聞かないから病気が治らないと断言するのは、その思い込みも甚だ疑問でお前のその物差しは何を見てきたのか?!と問いたかったけれど、優しい私は争いが苦手なので辞めたのだが、心の中が悶々悶々もんもんモンモン(˘-ω-˘ )
でも、そう言うのも分からないわけではない。人は自分の正しさを断言する。それは正義なのだ。私にもある。
お前のために、あなたの事を思って、の言語の裏側は今では見透かされている。
私も使っていた、便利だものね。そう言えば相手に二の次を言わせないで済むもんね。
でも複雑化された時代に、人の心を昔の価値観で縛ってはいかがなものかとも思えるようになったり。
そして人は学びの対象となる。
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