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犬と花言葉

※創作掌編(1977字)。

「可愛いヨークシャーテリアね」

 互いの鼻を近付ける2匹の犬。片方のリードの先に少女が居た。

「は、はは、ハイ」

 僕は動揺した。知らない女の子に突然話し掛けられたのだから当然の反応だと思いたかった。

「名前は?」

「“アネモネ”です……い、一応オスなんですけど」

 少女は高校2年生で僕と同い年だが、僕は未来永劫、少女に対して敬語の口調を崩すことは無かった。

「じゃあ私の“スミレ”ちゃんの種類当てて」

 少女の犬にも花の名前を付けていた。

「えっと、分からないです……」

「もう、どう見てもミニチュアプードルちゃんじゃん」

「す、すみません……」

 笑顔ながらも少し興ざめな感じで言う少女とそれにたじろぐ僕の間で、アネモネとスミレは互いの毛を舐め合っていた。


 僕は飼っているアネモネどころか犬そのものに対する興味が無かった。散歩なんて数えるほどしかしていなかったが、この日は試験の成績を30点も落としたことで親から罰を命じられ、渋々散歩に連れて行った。近くの公園のドッグランに入ると、アネモネは5秒もしない内に15を超える犬たちの中から真っ先にスミレ目掛けて走り出したのだ。


 少女は毎日ここに来ているという。その日の3分にも満たない会話で無類の犬好きであることも判明した。

「じゃあそろそろ家に帰らなきゃだからまたね」

「待って下さい!」

 いつもこの時間に来ているのか。勇気を出して聞いた。肯定のレスポンスだった。


 翌日から僕は学校が終わるや否や家までダッシュし、鞄をリードに持ち替え、制服姿のままアネモネをドッグランに連れて行く日々が始まった。少女はいつもおしゃれな私服でスミレと共に出迎えてくれた。僕と少女の都合が合う時間は15時45分から16時までの15分だけだったが、それでも図書館で犬の本を3冊も借りて猛勉強した僕は少女とイヌトークで盛り上がった。

「学校はどこですか?」

 一週間ほど経ったある日、僕は少女に率直な疑問を投げかけた。

「うーん、どこだと思う?」

 少女はしゃがみ込み、ビビッドグリーンのミディアム丈フレアスカートの裾を左手で押さえ、右手でスミレの毛を撫でながらそう言った。やっぱり良いです、気にしないで下さいと透かさず言い、再び犬の話に戻った。

 そして出会ってから2週間。未だに僕等は犬の話しかしていない。
 もっと少女のことを知りたい。だが話題をどうするか。家族構成か、友達の話か、夢か進路か──。

「アネモネの花言葉って、知っていますか?」

「うん……知っているけど……」

「僕は、あなたを……“愛しています”」

 唇の悪戯なのか。言うつもりのなかった、一生心にしまいこむつもりだった言葉を僕は無意識のうちに吐き出していた。

「ありがとう……でも……」

 当然だが、告白は断られた。ただ、誰かの涙を肉眼で見たのはそれが初めてで、その一滴はとても美しく輝いて見えた。


 翌日から少女はドッグランに来なくなった。その翌日も翌々日もアネモネと共に待ち続けたが──。

 一週間も経つと、少女とスミレと居た日々は夢だったのではないかとさえ思い始めた。しかしその3日後、少女の母親と名乗る女性がドッグランに現れ、とても悲しい話を僕にするのだった。

 ***

 定時制の高校に通っている少女は、いじめが原因で一時は不登校になり、家の外へ足を踏み出せない時期があった。そんな少女を救ったのは一ヶ月前に母親が買ってくれたスミレだった。犬を好きになり、おしゃれをしてスミレの散歩に連れて行くことで引きこもりを脱し、散歩が終わるや否やリードを鞄に持ち替え、同じ服のまま登校した。スミレのお陰で学校に行けるようになったのだ。

 とはいえ少女の人間不信が治ったわけではなく、スミレ以外の生き物を好きになることは無かった。それは僕も例外ではない。少女にとって僕はただの話し相手、しかも犬の話限定という、ドッグランに居る他の飼い主たちと同じでしかなかった。僕の想いに応えることは出来ず、これ以上仲を深めても僕の傷が深くなるだけだと悟り、ドッグランに顔を出すのを辞めたのだった。


 ***


 僕にとって、犬の前で笑顔を見せる少女がとても愛おしく、毎日公園で15分会話を交わすだけの関係がどれほどかけがえのないものか、会えない今だからこそ身に染みて理解していた。

『僕のことは嫌いでも良いけど、アネモネとスミレの絆だけは引き裂かないで下さい』

 37文字に紫のアネモネの絵も描き加えた手紙を少女の家のポストに入れた。花言葉は”あなたを信じて待つ”。


 翌日の15時45分、僕はアネモネと共にドッグランに入った。

「私が間違っていました。ごめんなさい」

 それは初めて耳にする少女の敬語だった。

 僕と少女は10日前と変わらず、15分間ひたすら犬の話。だがそれで良い。互いの毛を舐め合う2匹の犬を2人で微笑みながら見守る、ただそれだけでスミレの花言葉の如く“小さな幸せ”なのだから。

(Fin.)


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