黒髪セミロング眼鏡っ娘(第四話)
この世に存在する70億ものホモサピエンスは、ありとあらゆる方法で二分される。男と女、大人と子ども、サディストとマゾヒスト、平和主義者と軍国主義者、そして陽キャと陰キャだ。僕は陰キャ歴26年の26歳だが、陽キャの生態を間近で観察する経験も何度かはあった。
そのうちの一回は2012年10月5日、新宿某所のオフ会にて。
「お土産は?」
「全部食べちゃいました、てへぺろ(・ω<)」
「太りますよ?」
「失礼ですねもう(笑)」
「ホラこいつ、こういう所がキモイんだよ」
「おいキモイって言うなよ(笑)」
男女を意識せず、何でもかんでもしゃべり、周りは嘘でも笑って盛り上げ、多少失礼な発言も受ける側はネタとして受け止める。僕にはこういうものが無かった。九分九厘は黙り込み、聞き役として徹しているだけだった。イケメンでも無い男が乙女に対して「太りますよ」と発するなんて僕の中では冗談でも有り得なかったが、それすら許されるのが彼のキャラなのだ。これが陽キャという名の薔薇色の世界。極度の人見知りで根暗の顔も気持ち悪い僕には永遠に縁の無い世界。そう思っていた。あの事件が起きるまでは。
***
「予定では来週の月曜にまたヘルプで来る予定なので、よろしくお願いします」
2012年9月12日深夜、僕はKSMに秋田のお土産を渡すだけの為にT店に来ていた。
「おお、当方君ちょうど良かった。今度言おうと思っていたんだけど」
そこには部長も偶然居合わせていた。
「K店に新しく入った女性社員、エーット誰だっけ?」
「Iさんですか?」
「そうそう。彼女にK店を任せて、今後当方君には色んな店を回ってもらう事になると思うから。移動とか絡むとやっぱり体力的に男のほうが良いだろうし」
「ハイ、それは全然良いですけど」
「とりあえず週の半分くらいはN店に行ってもらう事になると思う。あそこも今、人が足りないんだよね」
それを聞いた僕は内心でガッツポーズを決めた。既に週2でT店の夜勤が入っている現状に更にN店のヘルプも加わる。となると配属店舗のK店に居る事はほとんど無くなるのではないか。上司に理不尽に怒られる回数も格段に減るだろう。入社して5ヶ月、ついに僕はパラダイスを手に入れた。ここまで耐えてきて本当に良かった。新入社員のIにも感謝しなければならない。彼女が居なければこうはならなかっただろう。
そして、来週月曜にはまたT店ヘルプが控えている。KSMの期待を更に越えるには、今まで以上の仕事をしなければならない。前回2時間も早出してカップ麺の品出しまでやってしまったから、今度は4時間くらい早く出勤してウォークインの在庫の補充でもしちゃおうかな。KSMは更に驚き、飛び切りの笑顔も見せてくれるだろう。今から楽しみだ。その時僕は確かに幸せの頂点に居た。
***
しかし3日後、散々持ち上げられた僕は、アラフォー店長とマネージャーの会話を盗み聞きし絶望の底へ転落する事になる。
「S店の店長が飛んじゃって、急遽明日からIさんを送り込む事になったの」
「大丈夫なの?」
「解らないけど、もう彼女しか人が居ないから。家も近いし」
「で、当方さんのT店ヘルプが無くなっているけど」
「もう無理でしょこの状況じゃ。私もN店に行かなきゃならなくなるし、T店まで構っていられないわよ。もし電話来たらテメエらで何とかしろって伝えといて」
なんと、僕のT店へのヘルプ出勤が突然打ち切られた。あくまでも交通事故による自宅療養中のスタッフの代理であり、いずれは終わると腹を括っていたとはいえ、彼の復帰より前に違う理由で終わらざるを得なくなるとは、あまりにも理不尽すぎる。
しかも、僕が週の半分は行く予定だったN店へのヘルプは交通費削減の為に自転車で通勤可能なアラフォー店長が務める事になってしまった。来週から僕は元の週6自店勤務に戻る。
話が違う。僕はパラダイスを手に入れたのでは無かったのか。幸運なのは店長とマネージャーの二重の魔の手から上手く逃れられたアラサースイーツ女・Iのほうではないか。何故5ヶ月も耐えてきた僕のほうが更なる不幸を背負わなければならないのか。元凶は突然辞職したS店の店長。今すぐ怒りをぶつけに行きたい、だが彼はもう僕の力では探し出せない。成す術はただの一つも無く、ただただ大人の事情に素直に従うのみだった。
(回想)『おーー、ありがとうございます(笑)』
即座にKSMの笑顔が浮かんだ。その笑顔を見る事は二度と出来ない。この現状を納得できる人は居るのだろうか。少なくとも僕は違った。
――このまま、終わらせたくない――
では、どうすれば良いのだ。
――第二章を始めちゃえば良いじゃない――
何も仕事の付き合いのみに留める義務は無い。序章が仕事だとするなら、進むべき次のステージ、第二章は“プライベート”。早出をしてまでKSMの作業を代わりに行い、その分だけ感謝されてきた僕は、最大限の力で序章をコンプリートしたつもりだった。ならばこれを機に、彼女とプライベートの付き合いを始めてしまえば良いではないか。
(回想)『月・水が当方さんと一緒で、金曜だけK君と一緒ですね』
『ああ、あの2人(一人はK)とはプライベートで良く飲んだりしているんですよ』
事実、あの時KSMと仲良く話していたKは一足先に第二章に突入している。
(何だよ……あんなに仲が良いなら付き合っちゃえば良いのに)
否、Kを妬むだけでは何も始まらない。僕にもKSMと仲良くなる資格はあるはずだ。偶然にも僕は秋田のお土産として3,000円もの吹きガラスのコップをKSMにプレゼントしており、既に親交を深める下地は出来ている。
確かに僕はT店ヘルプ終了で絶望を味わった。だが、もしそれが僕の足を第二章へ踏み入れさせる為に神が仕組んだものだとするなら。陽キャの仲間入りをするチャンスを与えてくれたものだとするなら。薔薇色の世界への橋を架けてくれたものだとするなら。
――渡るしかない――
もう迷いは無かった。それでも作戦だけは慎重に立てた。そもそも僕は現実的にKSMと真剣に付き合えるとは思っていないし、そんな大きな目標ではない。ただ陽キャの仲間入りを果たしたい、それだけのささやかな願いだった。そこで出会いに飢えている友人に相談をもちかけた。
「じゃあ俺を含めて彼女ほしい友達が何人か居るっていう体で」
友人が名案を考えてくれた。まずはKSMに彼氏の有無を聞き、居ない場合は、
「実は僕の友達で彼女居ないとか友達少ないとかで困っている人が何人か居るんですけど、もし良かったら今度その人たちと会ってみませんか?」
と交渉する。彼女のOKが出れば後はメールアドレスを交換し終了。後日僕が仲介役となってKSMと友人と3人で食事をし、晴れて陽キャにジョブチェンジという策略である。
もしKSMに彼氏が居るなら、仕事の悩みや愚痴を話したり店の情報交換をしたいという理由でせめてアドレス交換に持っていき、一旦身を引き作戦を練り直す。それだけでも陽キャに一歩近付く。
「どんなに嫌でもアドレス交換をその場で拒否る人は居ないでしょ」
「だよねー」
作戦の全容は決まった。それでも不安が消えなかった僕はワードで台詞の原稿を作成した。分岐A、分岐B、分岐A-1、分岐A-2、分岐B-1……アドリブに重度に弱い僕でも対処できるよう、分岐の多い精密な原稿が完成した。アドレス交換に必須な赤外線通信のリハーサルも行い、準備は万端。
***
9月18日、ついに勝負の日を迎えた。朝の5時45分にも関わらず、僕は既にT店の最寄り駅に居た。通勤服のワイシャツとスラックスを身にまとい、ギャツビーフレグランスを頭、顔、首筋に腕までたっぷり塗りたくった。身だしなみの最低レベルはクリアしただろう。原稿を読み直し最終確認。緊張は臨界点を突破していた。否、緊張する必要は無いはずだった。これは決してハードルの高い試練ではないのだ。愛の告白ではないし、二人きりで食事に誘う訳でも無い。KSMに友人を紹介する、ただそれだけの事なのだ。
(回想)『夜勤スタッフの黒髪セミロング眼鏡っ娘です。今日はわざわざ来ていただきありがとうございます』
『今日は本当に助かりました。ありがとうございます』
『当方さんが一緒だと心強いです』
『イヤ、何でですか?(笑) 全然大丈夫ですよ』
『イヤイヤ、ありがとうございます、とても助かります』
彼女は何度も僕に感謝し、笑顔を見せていた。加えて吹きガラスのコップ。ここまで成功の2文字が見えるミッションは僕の経験では前例が無い。
「よし、やってやるぜ」
確固たる自信を持ち、僕は歩き始めた。一歩、また一歩とT店に近付く。
不思議だった
入社してから5ヶ月ちょっとで
それまで僕は
何処にでも居る普通の陰キャで
でも感じていた
今までの自分じゃ
普通の陰キャじゃ無くなる瞬間を
「おはようございます」
「アレ? 当方さん何で来たんですか?」
6時5分、店内に居たのはKSMではなく女性マネージャーのHだった。KSMの勤務は6時までで、ちょうど退勤時を狙って鉢合わせる予定だった。
「K店に足りないPOPをいくつかコピーして貰いたくて来ました」
だがこれも想定の範囲内。僕はHにT店に来た表向きの理由を説明した。
「何でこんな朝早くから?」
「このあとK店に発注しに行くんですよ」
「なるほど。それで通勤服ですか」
辻褄合わせは完璧だった。そして、ヘルプに行けなくなった事を謝罪し、POPのコピーという偽装の作業を終えると時既に6時20分。KSMの鞄が置いてある事も確認できたが、未だ彼女は姿を現さない。
「もしかしてKSMさんはウォークインに居ますか?」
「そうですね。まだやって貰っていますね」
「ちょっとKSMさんにも挨拶したいので、事務所で待っていても良いですか?」
まさか待機になるとは予想していなかった。僕と組んだ日にKSMがこの時間まで残業した事は無い。やはり僕が早出をしてまで彼女の作業を手伝っていた事に意味はあった、そう思いたかった。
緊張が途絶えないまま、壁に貼られたシフト表に自然と目が移る。僕の名前が書かれるはずだった月曜夜勤と水曜夜勤の枠には、それぞれ部長とKの名前があった。翌週の表も同じだった。これで水・金と、Kは週2でKSMと一緒になる。もう僕の出る幕は本当に無くなった事に気付き、改めて悲しくなった。だが待っていろよK。すぐにお前と同じ状況になってやる。第二章に足を踏み入れてみせる。
(次回、最終話)
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