呼び捨て(直呼其名)
昨日幼稚園の年長さんの息子を連れてお稽古に行ったときのことです。
这是昨天我带着幼儿园大班的儿子去课外班时的事情。
いつも名前の書いたテープを簡単にお洋服に貼って入室していますが、
テープを張ろうとしたら、
息子は、「ママ、下の名前だけじゃなくて、全部の名前(苗字と言いたいかな)を書いてほしい。」と言い出しました。
平常都是把写有名字的胶带简单的贴在衣服上进去教室的,
当我准备贴胶带的时候他说:“妈妈,不要只写我下面的名字,我想让你给我写全名(估计他想说姓)。”
他のお子さんと大分親しいし、下の名前だけを書く人も多いからそれで良いかと思った私は、理由を尋ねました。
そうすると、「だって、下の名前だけだと呼び捨てされるもん。」との返事。
「えっ?そうか。それ呼ばれるのがいやなの?」と聞くと、
「いや」ときっぱり。
他已经和别的孩子们挺熟悉,而且也有很多人只写下面的名字,我也觉得没问题。所以就问他理由。
然后他说:“只有下面的名字的会被直呼名字呀。”
我再问:“啊?这样吗?你不喜欢他们那样叫你吗?”
他很肯定的说:“不喜欢。”
正直、少し驚きました。
说真心话,我有些吃惊。
まだ幼い彼には、呼び捨てということを認識していること、
そして、それに対して、自分自身の判断(好きか嫌か)ができるようになったと、私はそれに初めて気付きました。
我第一次发现年纪幼小的他已经意识到什么是直呼其名,
而且也已经可以对此做出自己的判断(喜欢还是讨厌)。
「なるほど」と私は答えてフルネームに書き換えました。
長男も納得した様子。
“原来如此啊”,我说着就给他重新写了全名。
他也一副满意的样子。
ささやかなことですが、
子どもの成長をつくづく感じました。
虽然这只是一件很小的事情,
但是却让我真切的感受到了孩子的成长。
もちろん、もしかして彼はまだ表上しか分かっていないかもしれません。
そして、幼稚園で先生に教えてもらった可能性も大いにあります。
当然,也许他也只是明白一个表层的意思。
而且幼儿园的老师也很有可能告诉过他们。
それと、年少の時だったかな、公園でお友だちと大声で互いの下の名前を「くん」、「ちゃん」なしで呼び合った時に、私が「「ちゃん」や「くん」を付けて呼ぼうね!」と注意したことがあると今思い出しました。
でも、あの時、彼にはまだ明らかに呼捨ての認識がなかったと感じます。
还有,我也刚想起来他还是小班的时候,有一次在公园和别的小朋友之间互相大喊着对方的下面的名字(没有带上日本小朋友之间互相称呼时常说的“君”或者“酱”),当时我还提醒他们了。
但是,感觉那时的他对直呼其名还没有什么意识。
成長と共に、日本の名の呼び方文化をこうして自然な形で息子は認識しつつあると考えると、とても興味深くなりました。
随着成长儿子就如此自然地认识到日本的称呼文化,这让我很是感兴趣。
実は、私自身は相手の同意があれば互いに呼捨てがむしろ居心地が良いくらいです。
ドラマの中もよくある話ですが、日本の若者同士のように、私も留学生時代に友だちとお互いに呼捨てして親しみを感じました。
今でも留学生時代の日本人友人と気兼ねなくそう呼び合っています。
其实我自己只要对方同意的话我觉得互相直接称呼感觉更放松。
就像电视剧里也常有的那样,和日本的年轻人一样,我留学的时候和朋友们互相直接称呼感觉很是亲切。
即使是现在,我也依然和留学生时的日本人朋友互相直接称呼。
その意味では、学生同士や友だち同士は呼捨てで問題ないとずっと思っています。
ですので、娘が小学校に入ってからみんなフルネームか苗字に「さん」付けで呼ぶのに非常に違和感がありました。
子どもはもう少し気楽に呼び合えば良いのにと思ったこともありました。
所以,我一直都认为学生之间,朋友之间直接称呼是没有什么问题的。
所以在我女儿上小学的时候大家都称呼全名或者姓,再加上一个敬称“桑”,那让我感到很是不适应。
当时我觉得小孩子们明明可以更放松的互相称呼。
しかし、この数年をかけて他の保護者といろいろ交流してから気付きました。
全員ではないでしょうが、殆どの日本人(交流している保護者)は自分の子どもが呼捨てされることに抵抗があるようです。
そこから私も少しずつ意識するようになりました。
些細な事ではありますが、不注意で相手に嫌な思いをさせたり、失礼に当たったりすることがあるなんだなと再認識しました。
可是这几年我和很多家长在交流中发现绝大部分日本人(我所交流的家长)对自己的孩子被别人直接称呼还是有抵触的。
那之后我也开始慢慢的注意这件事情。
我重新意识到,即使是很小的事情,如果不注意还是会让对方不愉快或者不够礼貌。
もちろん、中国も呼び方についていろいろと使い分けがあります。
基本的に学校の先生、医者、上司や目上に対して敬意を払って、「老師(ローシ)」、「医生(イション)」や「先生(シェンション)」などの敬称を付けますが、
普段の生活上敬称を使う場面はさほど多くないのは現状です。
当然,中国在称呼上也有各种分别。
基本上大家会对学校的老师,医生,领导或者上级称呼的时候加上”老师“,
”医生“以及”先生“等表示尊敬,
但平常生活里并不是太经常使用敬称。
中国では、見知らぬ者同士か初対面同士、ビジネスの場で取引先の相手や商談などフォーマルの場面に敬称を使うのは一般的です。一方、同僚間で敬称をつけて呼び合うようなケースはほとんど見られません。
在中国不认识的人之间或者第一次见面的人,以及商务上和客户会面或者谈业务等正式场合下通常会用敬称。而在同事间则几乎不会互相使用敬称。
同僚や同級生・友人などの関係で一般的にフルネームで呼び合うケースがかなり多いです。たとえば「王(苗字) 文诗(名)」などといった風に。そのため、中国人は姓+名を1セットとして考え、子供の名前を決める時もフルネームにしたときの響きに拘る人が多いです。
同事以及同学,朋友之间称呼全名的人很多。比如“王(姓)文这样的叫法。所以中国人把姓+名合为一体来考虑,很多人给孩子取名字的时候也会很注重全名叫起来是否顺口响亮。
親しい間柄や家族間は、下の名前で呼び合うケースが多いです。また、名前の一文字をとって、その前に「小」や「阿(ア)」をつけて親しみを示すこともあります。ニュアンスとしては「~ちゃん」といった響きです。ちなみに、名前の前に「阿」をつけるのは広東や福建など南部に特有の呼び方です。
关系熟悉的人或者家人之间则多数称呼下面的名字。有人会把名字里取出一个字,前面再加上“小”或者“阿”来表达亲密。用日本来表达就是“酱”的感觉。另外,在名字前面加上“阿”是广东福建等南方地区特有的称呼。
つくづく思いますが、異文化に触れなければ、その文化を深く知り味わうことがないでしょう。そして、もしかして自分の所属する文化圏のことも意識することなく過ごしてしまうかもしれません。
名前の呼び方というあまりにも日常的過ぎることなのに、文化の広さと深さを気付かされました。
我真切地发现,如果不接触不同的文化也就不会很深刻地知道并体会这个文化。而且,对自己所属的文化圈也很有可能毫无意识地生活下去。
名字的称呼只是一个太日常不过的事情,可是却让我意识到文化的广度和深度。