ダンスを描いた映画「情熱の王国」(6/1 ユーロスペースで公開)

素晴らしいダンスを映像に取り入れた映画はたくさんあるけれど、ダンスが生まれ出る過程をモチーフとした映画というのはそう多くない。

スペインのカルロス・サウラ監督はそうした映像作品を数多く生み出したひとだ。

6月1日から、渋谷のユーロスペースで、カルロス・サウラ監督のダンス映画『情熱の王国』が、ドキュメンタリー作品『壁は語る』とともに同時公開される。

3月におこなわれた『情熱の王国』の試写会に行ったので、推しのポイントを記しておきたい。

映画の原題El rey de todo el mundoは、1940-50年代に活躍したメキシコの人気歌手ペドロ・インファンテの歌Fallaste Corazónの歌詞の一節にちなんでいる。

サウラといえば、1980年代に舞踊家アントニオ・ガデスと組んで撮ったフラメンコ3部作を始めとして、タンゴ、フラメンコ、その他種々の民俗的舞踊ジャンルに芸術的アプローチをおこない、ドキュメンタリーとフィクションの交錯するユニークな映像作品を製作してきたことで知られている。

本作は、そうしたサウラのダンスをめぐる探求の終着地であると言える。

当然、『カルメン』(1981)や『タンゴ』(1998)といった過去の作品と重なって見える部分は多い。けれども、『情熱の王国』がマンネリに陥っていると感じることはなかった。

この作品では、1980年代の『カルメン』同様、舞台創作のプロセス、ダンサーの雄弁な身体、フィクションが三つどもえで絡み合う。『カルメン』では、圧倒的カリスマを持つ舞踊家ガデスを人間として裸にして、弱さや脆さを明るみに出す、といったもくろみがみられた。

『情熱の王国』では、画面に登場する<作り手>にそういった超越者的な位置づけは与えられない。

演出家マヌエルと振付家サラの二人は、どちらかというと、『タンゴ』の舞台演出家マリオのような、才能を見出す「伯楽」的役割にとどまり、舞台ができあがっていくプロセスを引きで見つめている。主役はあくまで素材としての音楽やダンサーたちだ。

ただし、『タンゴ』では、ベテランの名人芸を映像記録にとどめようとするあまり、物語とパフォーマンスのからみ合いがチグハグしていたし、描かれる対象に介入したいというサウラ自身の過剰なエゴが見られたのに対して、圧倒的に若いパフォーマーたちをフォーカスして描いた本作の印象は、80歳代後半の監督が撮ったとは思えないみずみずしさが感じられた。月並みな言い方をすると、心が若い。

対照的な男性2人の間で揺れ動く女性主人公という、三角関係の設定もよかった。主人公イネスを演じたグレタ・エリソンドは未完成な少女らしさと凛とした強さを兼ね備え、ディエゴを演じたイサーク・エルナンデスの不遜で危険な感じ、フアンを演じたイサーク・アラトーレのやや不器用で実直な感じ、それぞれがうまくからみあった。

演出家マヌエルと振付家サラの関係の設定は陳腐といえばいえなくもないが、二人とも、ダンスが生まれ出るドラマチックな過程に介入することなく、じっと見つめる創作者を好演していた。

この作品の基本素材といえるのはメキシコの大衆音楽。ダンスは副次的であり、民俗舞踊の映像化ではない。若いダンサーたちが輝いて見えるのは、決まりごとをなそるダンスではなく、音楽を自由なかたちで動きに置き換えるものになっていたからだろう。

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