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満たされる瞬間を考える。

自分の「満足」について考えたりする。

自分は、いつ満たされているんだろうって。

朝起きて、空が晴れているだけでも満たされていく感覚がある。料理が美味しくできたときなんて、さらに満たされたような気分になる。でも、満たされた想いは、海の満ち引きのように次第に引いていってしまう。

それからしばらくは現実的な想いが低空飛行しながら時間は進んでいく。仕事に行かなくてはならない。ベタつく暑さでも一日耐えなければならない。休みたいときに休めない。

現実を目の当たりにするほど波は引いていく一方だ。

でも、尊敬する先輩の顔を見たときや、苦手な人の新たな顔を見たときなどに、微かな波がやってくる。満たされるまではいかない。でも、ホッとするように心が動くのがわかる。

でも、なにがウチの心に作用しているのかは、ハッキリしない。

休憩時間になっても、意外と満たされることはない。一人で黙々とお弁当を食べて、SNSをチェックして。結局、その場しのぎの時間を過ごすだけ。満たされていく感覚はどこにもない。

そのまま休憩時間は終わり、なんとかやり過ごすように仕事を終えた。

仕事終わりでフラッと映画館へ入る。2時間弱、暗闇の中で大音量の映画を浴びる。そのとき、大波が押し寄せた。満ちて、満ちて、いっぱいになる。作品の良し悪しに関係なく、心が満たされているのが分かった。

ウチって、映画が好きなのかな。

ためしに帰宅してから、NetflixやU-NEXTを開いて映画をかけてみる。家事をしながらチラチラと映画を流しみた。でも、満たされる感覚はなかった。今度はクッキーとミルクをお供にしながら真剣にみる。でも、さっきと変わらなかった。

作品はどれも面白い。でも、満たされない。ランチタイムに感じたような、その場しのぎの時間が過ぎていくだけだった。そう考えると、どうやら映画館で映画をみることに意味があるらしい。非日常の空間に浸ることが重要なのかもしれない。

寝る前に本を開いた。最近、読み始めた小説だ。最初は没頭できず、気が散ってしまいがちだが、30分もすればどっぷりと本の中へと没入している。このときは、明らかに満たされている感覚がある。日常の中でも、これほど満たされる瞬間もあるようだ。

休日に友達と会った。ずっと満たされていた。会話の弾まない時間があっても、それでもウチは満たされていた。別に友達が聖人君子なわけではない。イラッとすることもあるし、見下してしまうこともある。でも、満たされている感覚は確かにあった。

でも、いつまでも満たされているわけではなく、友達と別れた直後から、もう波は引いていく。しかも映画館から帰ってくるときよりも引いていく速度が速いではないか。

もう、よく分からない。

でも、なんとなく見えてきたこともある。

どうやらウチは、好きとか嫌いとかとは別なところに「満足」があるらしい。しかも、その満足も、事柄によって持続性が変化する。白黒ハッキリした答えは見つからないが、なんとも面倒な生き物であることは分かってきた。

そして、同時に新たな疑問もわいてきた。

常に満たされている状態でいることは不可能なのだろうか。

今日もクダラナイことを考える。

それが、ウチの一番満たされる瞬間なのかもしれない。

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