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【30分エッセイ】 おばあちゃん、長生きしてね。


おばあちゃんと電話した。
ウチ、この前、体調を崩してたの。そしたら頻繁に電話がくるようになった。ウチから連絡したわけではないから、きっと親がおばあちゃんに連絡したんだと思う。「大丈夫けえ?」という方言がきいた元気な声が心地いい。嬉しかった。とっても嬉しかった!

おばあちゃんは今年、米寿を迎えた。
ちゃんとおばあちゃんだ。決して若くはない。誰がどうみても、おばあちゃん。ウチのおばあちゃんは、びっくりするほど元気だ。百姓の家で育ったおばあちゃんだが、晩年は足を悪くして、ひどいO脚のように足が曲がってしまった。でも、ものすごいガッツで、病院に通院した結果、日常生活には支障がなくなるほどに回復した。もちろん、長距離の移動とかは難しいけどね。

おばあちゃんは、今でも、庭にある小さな畑で野菜や花を愛でている。
親戚からお米を譲り受け、ウチに送ってくれる。だから、ウチはこれまでお米を買うという経験をしたことがない。お米なんて、すごい重いのに。おばあちゃんは本当に元気なのだ。

電話をするといっても、おばあちゃんは長電話が嫌いだ。
とにかく用件だけ話したら「はいよー」といい、すぐに切る。大体、2〜3分で電話は終わる。会話の内容のほとんどは、ウチの心配だ。「お米を食べなくきゃだめだよー」とか、「休まねえと」とか、「気をつけなきゃだめだかんねー!」とか。そういう内容。

おばあちゃんは米寿を迎えたのだ。
つまりは、88歳だ。本来であれば、ウチなんかよりも、おばあちゃんの方が心配されるべき高齢者のはず。でも、おばあちゃんはいつもウチを心配してくれる。そして、決まってウチが「ありがとう! またねー!」といい、電話を切る。なぜか、ウチが元気をもらっているのだ。ちなみに、おばあちゃんはLINEも使いこなしている。スタンプの代わりに、従兄弟の子ども、ひ孫の写真を送ってくる。

そして、そんなおばあちゃんからは、お米だけでなく、定期的に支援物資が届く。ヨーグルトや、美味しい旬の野菜たち。先日は、フキやタケノコが届いた。あまりの美味しさに「また食べたい」と言ってしまった。

とにかく、おばあちゃんは優しい。
無私の精神がいきすぎていると思う。とにかく与えてくれるのだ。ウチからは、なにもしてあげられていないのに……。もちろん、見返りを求めるなんてことは絶対ない。そんな概念すらないように感じられる。悟りを開いている、としか思えない……。凄すぎるよ、おばあちゃん。

それでいて、おばあちゃんは楽しそうなのだ。
おばあちゃんからの短い電話のなかに、よく「友達」という言葉が出てくる。「友達と話してて」とか、「友達からもらった果物が」とか、「友達と紅葉見に行ってきた」とか。それは、もう、本当に楽しそうに話してくれるのだ。「友達のおかげで私は幸せだあ」なんて言っていたこともあった。

ウチは、おばあちゃんの友達に会ったことがない。
おばあちゃんの家に行っても、友達に孫を紹介する、なんてことも一切ない。でも、きっと、おばあちゃんだけのコミュニティがあるのだと思う。孫が立ち入ることができない、豊かなサークルなんだと思う。写真だけ見せてもらったが、おばあちゃんはいつも写真の中央にいた。もしかしたら、ウチのおばあちゃんは、コミュニティの中心人物なのかもしれないぞ……。これまた、新たなおばあちゃん像と出会った瞬間だった。

ウチのおばあちゃんを見ていると、「ウチも、こんな老後を過ごしたい」と思わせてくれる。それくらい、おばあちゃんは幸せそうに過ごしている。会いに行くと、「本当に私は幸せだあ」と目に涙を浮かべてくれる。ウチも、もらい涙する。ウチはおばあちゃんが大好きなんだ。

おばあちゃんから、学んでいることは、やはり「友達」の大切さだ。
友達がいるから、いろいろな話ができて楽しいのだそうだ。孫の話も出来るし、一緒にピクニックにも行ける。地域の狭いコミュニティに根ざした、本当の友達の存在が、おばあちゃんの人生をより豊かにしているのだと思う。

ウチが米寿を迎えるとき、世界はどうなっているか分からない。
でも、確実にわかることは、ウチは身体のどこかに不調をきたしている。長距離の移動はもちろんできないし、目も悪くなり、本を読んだり、画面を見ることも煩わしくなっていると思う。では、そんな時に、残されたものはなんなのか……。

友達欲しいなあ……。
友達を作らないといけないなあ……。

そんなことを、昨日、考えてたんだー!
おばあちゃん、長生きしてね!


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