【30分エッセイ】 見てくれている人は必ずいる、はず。
見ている人は必ずいる。
そう感じるようになったのは、親の存在が大きい気がする。
自分の感覚や感性を共有できる人は、なかなか現れない。
でも、ウチの場合は、一番近くにいる親がそうだった。
これは、しあわせだと思う。
つい忘れてしまうんだ。
見てくれている人は必ずいる、って。
だから、心が淋しくなるし、少しずつ錆びついていってしまう。
自己肯定感とも違う。自尊心とも違う。
生きているだけで抱えてしまう、不安や孤独のこと。
でも、見てくれている人は必ずいる。
努力が報われなくたって、誰からも評価されなくたって、自分を分かってくれる人はいる。この希望を抱けるかどうかは、けっこう、重要だと思ってるんだ!
もしかしたら、昔の人は、それを「お天道様が見てくれている」と言ったのかもしれないね。そうして自分を律したり、ルールを作ったりしたのかもしれない。
あたしにとっての最初のお天道様は「親」だった。
そして、時間が経つにつれて、友達や、パートナーが現れた。
たくさんの人に出会い、
「見てくれている人はいるんだ」という想いが少しずつ強固になっていった。
どうしたって、
仕事をしていると、人を見なくなってしまう。
“成果主義”が原則とされるばかりでなく、
“見てわかりやすいもの”が正義とされてしまう。
近頃は、そこに“短時間で”という時間泥棒までがやってきた。
見てくれている人はいる、
と思えない状況が増えてしまうんだよね。
でもね、いるんだよ。
見てくれている人は必ずいる。
このことを忘れちゃダメだなと思った。
今、すごく考えながら、書いている。
まったく、タイプが進まない。
色々な映像が頭の中を錯綜してる。
うまく言葉を紡げない。
世間とのズレ。
ギャップに引き裂かされそうな時ってあるよね。
ウチ、昨日、友達と会って、心が少しやわらいだんだ。
それを言いたかったんだと思う。
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