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【エッセイ】 没頭できない人生。


子どもの頃から、没頭できるものがなかった。
なにをしても続かない。すぐに飽きてしまう。目移りしてしまう。そんな人生を送ってきた。

オモチャもあったし、ゲームもあった。本も漫画もそばにはあった。ピアノの習い事までさせてもらっていた。でも、続かない。途中で放り出して、ごろ寝。これが、あたし。

あまりにも没頭できないから、いつも頭の中には「ヒマ」の2文字が浮かんでた。途中から、「自分は没頭できないという病気なのではないだろうか?」とまで考えるようになっていた。

あたし、なにかにノメリコムという体験をしたことがないの。

でも、つまらなかったわけではなくて、その時その時のヒマツブシがあるから、意外と楽しんでる自分がいた。今思うと、むなしいけど、いまだに「没頭できなさ」は自分の悩みでもあるんだよね。

これは勝手なイメージだけど、子どもは没頭する生き物だと思ってた。無我夢中で公園を駆け回り、虫とりをしたり、魚を釣ったり、絵を描いたりする。遊びの中で人間関係や、自分の向き不向きを学んでいき、将来の自分像を描いていく。時間を忘れ、本気で遊ぶからこそナニカが見つかる。だからこそ、子どもは未来を担う宝石だと思っていた。

でも、あたし、そんな経験を思い出せないんだ。いつもグズグズしていた記憶しかない。遊ぶ時も友達の後ろについていくだけ。聴いてた音楽も、好きだった友達が聴いていたからだし、将来の夢だって、親の希望を背負っただけ。
口癖のように「わからない、わからない」と心の中で呟き、ただ時間に身を委ねて生きてきてしまったの。

でも、ときどき、時間を忘れる瞬間もあった。ほんの短い時間だけなんだけどね。そのたびに、「これが、あたしの向いてること?」という疑問がわいた。

今の仕事だって、その延長にすぎないと思ってる。仕事をしてる時だけは、時間を忘れられる。好きとか嫌いで仕事をしていないんだよね。だから、いつまで経っても胸が張れないんだけど・・・。

そう考えると、こうして文字を打ってる間も、時間を忘れられるのかもしれない。仕事とちがって、プライベートの時間だから、時間を潰すために書いているのかもしれないけどね。よくわからない。でも、とにかく、書いている間は、時間を忘れさせてくれるんだ。

没頭なのかは分からない。夢中になっているのかもわからない。ただ時間を忘れられるだけ、その程度なのかもしれない。いつまで経っても「わからない、わからない」の連続。それは変わらないらしい。でも、とりあえずは、この生活を続けていきたいと思ってる。

好きとか嫌いだけで生きることができたら、もっとラクだったのかなあ・・・、なんてことを、たまに思う。

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