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小さなシット。


「自分の気持ちを、うまく言葉にできないんだよね」


 ウチと同じことを思っている人がいた。
 その人は、ヘラヘラと口を開けて笑っていた。


「でも、今、言葉にできているのは、自分の気持ちじゃないの?」


化粧をしないことをポリシーとしている友人が、柔らかな口調で痛いところを突く。ウチはヒュッと心臓が持ち上がるような気分になったが、じっと二人の会話に耳をかたむけた。


「そうなんだけど、言葉にできているのは、そのうちのほんの一部分にしかすぎなくて。プールの水を手を使って汲み上げようとしている感じなんだよね。バケツとかがあればいいのに、それがないから途方に暮れちゃうというか」


 真面目なことを言っているのに、その人はヘラヘラしている。
 気持ちと言葉だけでなく、表情と言葉も一致しないのかもしれない。

 カチャン、とフォークがケーキを切る音がした。
 友人は、抹茶色をほおばりながら、モゴモゴ笑った。


「めっちゃ言葉にできてるじゃん!」


 ウチもそう思った。だから小さく頷いて、その人に視線を送る。


「いやー、どうなんだろうねえ」


 ヘラヘラさんは、初めて困惑したように眉毛を寄せた。でも、なぜだか口角はキュッと上がり、やっぱりヘラヘラしている。そうして、友人の抹茶シフォンケーキを見て「もらっていい?」と言った。

 友人は「どうぞ」と手を差し出すように答えた。ウチも流れに乗じて、抹茶色を口に放り込む。唾液腺がジュワっと痛んだ。三人がなにかを考えているような空気が流れた。この時間がウチは好きだ。


「もう一人の自分がいるんだよ」


 ヘラヘラさんが口を開いた。ずっとヘラヘラしてる。
 でも、もしかしたら、彼は表情以上に深刻に悩んでいるのかもしれないと思った。


「もう一人の自分がいて、ぼくは彼の言葉を翻訳してるような気分になるんだ。だから、一生懸命しゃべってみるんだけど、果たして彼の気持ちを正しく訳せているのかって、不安になっちゃうんだよね……。ねえ、そういうことってない?」


 ヘラヘラさんは、ウチと友人を交互に見た。ウチは「わかる!」と言いたかったが、それすらも声に出すことができなかった。


「あんたって、意外といろいろ考えてるんだねえ」


 友人は感心したように呟いた。意外と、という部分の色が少しだけ変だった。馬鹿にしているわけではないが、ほめているわけでもない。でも、なにかの境界線を引くような声音だった。

 
 ヘラヘラさんは、さらにヘラヘラするように笑った。
 友人は、かまわず話を続ける。


「あたしは踊ってることもあってか、そこまで言葉に執着しないかな。体がしゃべってくれると思ってるんだよね。だって言葉にできないことだってあるじゃん。だから、言葉にできないことはそのままにして、それを体で表現するようにしてる。答えになってるか分からないけど」


 そうスカッと言い放つと、友人はケーキの最後の一切れを口に放った。ヘラヘラさんは国際電話でもしてるかのように数秒間かたまっていた。そして、時差を経てから、瞳を魚のウロコみたいにキラキラと輝かせた。


「ぼく、踊ってみるわ!」


「いや単純だな」


 二人のやりとりがドラマの世界みたいに見えて眩しかった。ウチは胸に宿った小さな嫉妬を押し殺すように、冷めたミルクティを胃に流し込んだ。 


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