見出し画像

【エッセイ】 親の張り紙。

小学生の頃、「こんな人間になろう」という紙をよく読んでいた。いや、正確には文字が目に入っていた、といった方がいいかもしれない。その紙はトイレの壁に貼られていて、ウンチをするとちょうど目の高さにくるよう緻密に設計されていた。作成者は、もちろん親だ。

ある日突然現れたその紙に、あたしは妙な恐怖を覚えていた。この紙に従っていいのかが、分からなかった。もっというと、気持ち悪かったんだと思う。明らかに子どもをコントロールしようと思ってる大人の声が聞こえてきたのだ。

思うに、この頃からあたしの精神的な反抗期は始まったのかもしれない。あたしは、ウンチをするときには「こんな人間になろう」を見ないで済むように、マンガを持ち込むようになっていた。紙を剥がす、という実力行使に至らないところが、あたしの弱い点でもある。

その悪習慣は、いまだに続いてしまっていて、スマホでもなんでも、あたしはトイレに物を持ち込まないと安心して用が足せない。

「こんな人間になろう」には、10個ほどの「こんな人間」が並んでた。並んでたことは覚えている。でも、忘れてしまった。文字が並んでいたことは覚えているのに、モザイクがかかっているみたいに中身がぼやけてしまう。どれだけ記憶の糸を遡っても、内容が思い出せないのだから、「こんな人間」は「その程度の人間」だったってことかな!

でも、最近、そんな自分の考えを改めるようになった。キッカケはシンプル。あたしも、トイレに紙を貼っていたのだ。しかも無意識に。用を足している最中に「みたことある景色だなあ」と記憶がだぶり、やっと気付いた。なんか、もう笑っちゃった。

あたしの貼った紙のタイトルは「好きな言葉たち」だけど、やっていることは親と全く同じだと思ってしまったよ。そこで初めて気づいたことがある。

あの紙は、あたしに向けた紙ではなかったのではないだろうか?

「こんな人間になろう」は、子どものあたしに向けられた言葉ではなく、親自身に向けられた言葉だったのかもしれない。親なりに思うことがあったり、悩んでいた時期だったのかもしれない。だから、ある日突然、紙が現れた。

現状を変えたくて、でも、どうしたらいいか分からないから、せめて自分の中身を変えようと出した結論。それが、トイレの張り紙だった。なんでも三日坊主になってしまうだらしない性格だから、決意なんかに頼らないで、絶対に目につくところに、戒めの言葉を配置する。自分への些細な抵抗。

あの頃のあたしには気づけなかった。勝手に解釈して、勝手に反抗していた。でも、今、あたしは親と同じことをしている。なんとも不思議な話だ。「親の背中をみて、子は育つ」なんて言葉がある。あたしは、親みたいにはなりたくなかった。背中を見ないように過ごしたつもり。でも、気付けば似たようなことをしてたりする。

なんだかなあ、とため息がこぼれてしまったよ。

この記事が参加している募集

#とは

57,728件

#今こんな気分

75,024件

創作に励みになります!