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【エッセイ】 いったり、きたり。


「人には適性がある」という気持ちと「人は環境に合わせて変化しなければいけない」という思いがぶつかって摩擦を起こしている。痛くて痛くてたまらない。

シロクマが砂漠で生きていけないみたいに、人間にもそれぞれの適性があると思っている。どう頑張っても器用になれない人はいると思うし、コミュニケーションを取るのが苦手な人もいる。それは単なる適性の話で、適性が合わない人に、無理強いするのはかわいそうだよ。だって、住む場所を間違ってるだけなんだから!

「ここは砂漠よ? あなたが来てはいけないところ。元いた場所に戻りなさい?」

そう、適性というのは、「元いた場所」のこと。きっと、それぞれが「元いた場所」を持っているんだよね。でも、それがどんな場所なのか、みんな忘れてしまっている。学校や社会など、強制的に住む場所を移されていくうちに、「元いた場所」が分からなくなってしまう。気づいたら砂漠に辿り着いていて、後ろを振り返っても足跡が消えていて、帰り道が分からない状態。そんな時はオロオロと涙を流すしかないでしょう。

だから、いつも自分の居場所を確認しておく必要があると思うの。迷子にならないために世界と交流して、自分を見つめる必要があるんじゃないかしら。こうして文章をつづることだって、自分の居場所の目印をつける一つの方法だと思う。周囲に居場所を語ることも一つの方法かもしれない。

「元いた場所」が分かってくると、自然と砂漠には近づかなくなるし、自分の力を解放できるようになるんじゃないかしら。

でもね、同時に「元いた場所」は、今からでも作れるとも思ってしまうんです。それを「環境に合わせて変化する」なんて言ったりするんだよね!

時代や空気に身をまかせ、行った先々の環境に合わせて自分を変化させていく。その場所を、自分の適性にしてしまうこともできちゃうんだよね。環境はコントロールできないけど、自分を変えることはできる。意外と、苦手を好きに変えることはできてしまうのよ。変化に対応できなかった種が絶えていくのは、生物界も同じことかもしれない。

こんな相反するような気持ちが混在してて、自分のことを励ましたり、叱咤するから痛くて痛くてたまらないの。

「あたしには、きっと輝ける場所がある」と思う気持ち。
「この場所を、あたしが輝ける場所にする」と思う気持ち。

たぶん、正解なんてないんだよね。だから難しいし、同じ問答を繰り返しながら生きてしまう。でも、どちらかだけに頼るのではなくて、両方を持って両輪で生きていかなければいけないのかもしれない。どちらかだけが肥大したら、イビツなことになってしまいそう。このバランス感覚を上手く持っていたいなあ。

あたしが輝ける場所はどこなんだろうか・・・。

・・・いや、この場所こそ、あたしが輝ける場所なんだ!

行ったり来たり。行ったり来たり。

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