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【エッセイ】 枝豆のキャパシティ。


自分のキャパシティは枝豆みたいなものなのかもしれない。ふさに収まるのは、三つくらいが限界。やりたいことが出来れば、すでにあるものを捨てなくてはならない。

本を読んだり、テレビやネットの世界を眺めていると、キャパシティなんて言葉を知らないみたいに才能に溢れた人が多すぎる。次から次へと才能を開花させ、「マルチ」なんて言葉が取り沙汰されるから、つい自分もナンデモデキルと思っちゃうんだけど・・・。

普通は無理なんだよね。
同時に色々なことなんてできないよ。
ウチの場合、せいぜい三つくらい。

新しいモノを手に入れたければ、すでにあるモノを捨てなければならない。

ポケモンのゲームでも同じようなことを悩んだことがある。ポケモンは、ワザを覚えられるのが4つが限界で、新しいワザを覚えたいならば、その分のワザを忘れないといけない。しかも、忘れられないワザなんてのもあったりして、小さい頃はたくさん頭を悩ませた。

なにを覚えようか。
そして、なにを忘れさせようか。
理想の姿にするために、あれこれ考える。

これって結構、真理なのかもしれないね。

掃除とかでも同じだと思う。ついつい家のことだとモノが増えてしまうんだけど、本当は捨てないといけないんだろうねえ。人間の記憶も同じだよね。昨日の朝ごはんのことなんて、すぐに忘れてしまう。じゃなきゃ、今日の献立なんて考えられないよ。知らずのうちに、自分の中で、自動的にイルとイラナイを判別してる。

もっとキャパシティがあったらなあ。
ストレージが十分だったらなあ。
容量があればなあ・・・。

全てのモノを自分の中に蓄えられるのに。機械や、ロボットみたいに簡単に保存してくれればいいんだけど、人間、そこまで上手くはできてない。特に、ウチには難しい・・・。でも、だからこそ都合よく考えられたり、記憶を美化できたりするのかも。

なんてことを考えながら、今日も新たな豆を入れるために、古い豆を出していこうと思います。ああ、クラウドになりたい。

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