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友達が欲しい。


 大人になると友達を作るのが難しい、という。でも、これは本当だと思う。子どもの頃は、いつでもどこでも友達ができた気がする。公園で遊んでいても、見知らぬ子どもに「一緒に遊ばない?」と言うことができたし、それで実際に友達になった。公園で遊ぶ友達。

 銭湯に通っていると、番台のおばちゃんが「いつもありがとね」と声をかけてくれる。そのうちに学校の話や友達の話になり、ここでもスグに友達ができる。ショッピングをしていても、親がどこかで休憩しているのか、放ったらかしにされた子ども者同士が出会うことも多く、手にしたオモチャをキッカケに会話が生まれ、友達になったりする。

 今思えば、「子どもだから」と許されたり、受け入れられたりすることが多かったんだと思う。大人になるとリスク管理もできるようになってしまうせいか、なにごとにも壁を感じるようになる。友達作りの壁なんて、まさにそれだ。


 子どもに話しかけられるのには抵抗はないが、大人だったら・・・。みたいな不思議な壁は確実に存在する。今、カフェで隣の人と同じ本を読んでいたとしても、絶対に話しかけることはしない。なんとなくの運命やらシンパシーは感じるものの、テキトーにジブリ的な妄想を膨らませるだけにとどめてしまう。


 きっと子どもだったら「おんなじ本読んでるね」と話しかけたんだと思う。そして、すぐに自己紹介なんかしちゃって、「このカフェにはよく来るの?」と話が膨らんでいくんだろうね。下心があるわけでもなく、純粋な会話をしていくうちに友達に発展していく。


 それが相手が大人になるだけで、恐怖や猜疑心が生まれてしまう。いや、それだけではなく、礼儀や気遣いなんてことまで頭の中では考えてしまうだろう。そうして、行動にブレーキをかけていく。そりゃあ、友達を作るのが難しくなるわけだ。

 でも、なにかしらのコミュニティに入れば、そんな壁は綺麗さっぱりなくなることがある。好きな電車について語れる場所や、推してる漫画を語れる場所があれば、自分一人の密かな妄想だけにとどめる必要はなくなる。素直に「好きになったキッカケはなんだったんですか?」と聞くことができるし、会話も自然と弾み、新たな友達が増えていく。

 スナックやバーも、似たような存在なんだと思う。そこに行けば人がいる。その店の雰囲気が好きな人、マスターや、ママを慕って集まった人。家が近所の人。たまたまお店を訪ねてきた人。さまざまな出会いが広がっていたりする。ここに来れば、意外とすぐに友達ができたりする。


 大人になると友達を作るのが難しい。それは確かにそうだと思う。でも、コミュニティに入れば、集合場所に行けば、そこには友達になれる人たちがたくさんいる。あとは、その扉を開く勇気を持つことができるかどうか。それだけなんだよね。

 そう考えると、子どもの頃は、自分が立っている場所こそが集合場所になっていた。世界を知らないからこそ、勇気を持つ必要もなく、無垢な心のままでいれた。


 先日、初めてバーの扉をノックした。


 おそるおそる扉を開けると、薄暗い店内は常連客らしき人たちで賑わっていた。カウンターの向こう側にいた女性に向かって「一人なんですけど」とかすれた声をかけてみると、「うち、紹介制なんで」とけんもほろろに断られてしまった。

 ぬるい夜風が頬を撫でた。ウチは途方もない孤独感に打ちのめされそうになった。見上げると、夜空には黄色と朱色が混ざったような、丸い月が浮かんでいた。


 二度と来るか!


 と頭の中では思っていたけど、でも、そんな瞬間的な感情よりも、やっぱりウチは心の奥底では「友達が欲しい」と切望しているらしい。集合場所を求めて、またウチは、どこかの扉をノックするんだと思う。

 ああ、子どもに戻りたい。

 友達が欲しい。

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