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【エッセイ】 人はみな役者。


確かに嫌われないための発言が増えた気がする。誰も傷つけないように、全方位に気を遣っての言葉を探したりして、自分をイイヒトに仕立て上げている。

これは年齢の問題だけじゃないのかもしれない。SNSが流行して、炎上したり、特定されたり、リテラシーを身につけたからこそ生まれた価値観だったりするのかも。

多様性が重視される世の中だから、自分も全てを受け入れている風に装っている。本当は自分の中に嫌悪感があったり、本能的に苦手だったりすることもあるはずなのに。それらをナイようにして、なんでも受け入れることが出来る成熟した人間をムリして演じてる。

・・・みたいなことが平気で起きている気がする。

演じることって恐ろしい。うまく演じ分けれる力があればいいのだけど、演じているウチに、いつしか役と自分を切り離せなくなってしまう場合がほとんどだ。

「演じている役こそが本当の自分なんだ!」と勘違いして、最初の自分の気持ちを殺していく。体力があるうちは大丈夫なのかもしれないけど、体力がなくなってくると精神がキツくなっていく。

でも、演じることによって、あらゆる状況を切り抜けられたりすることもできるし、成長もできたりするから難しい。一概には言えない。ムリして演じることが必要な場面もあったりする。だからこそ、演じていない自分を探す作業をしてあげないといけない。

演じていない自分を見つけることで、いろいろな役を演じ分けることができるようになるんだと思う。いろいろな役柄をリセットする作業を、ストレス発散というのかもね!

生きていく限り、人は演じていかなければいけない。
親の前での自分、子どもの前での自分。恋人の前での自分、親友の前での自分。聴衆の前での自分、一人の自分。人は、いろいろな自分を常に使い分けながら、演じ分けながら生きている。

時代の影響もあるんだろうね。ネットなどの影響もあって、演じる役が増えたのかもしれない。役が増えたことによって、演じていない自分を見失いやすくなったのかも。壊れてしまう人も増えた気がしてならない。

演じていない自分を探す作業。

ウチにとっての演じていない自分を探す作業はなんだろう。文字を書くことなんだろうか。分からない。だって、こうして文字にしてる時ですら「嫌われないための文字」を選んでいたりするんだから。書いてる時ですら演じている。


この世は舞台、人はみな役者。

シェイクスピア「お気に召すまま」より

               

シェイクスピア先生。アッパレです。

演じていない自分、探してこっ!

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