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【エッセイ】 エッセイって、なんだっけ?


エッセイの語源は、“試み”とか“実験”なんだって。
日本では、エッセイを随筆なんていったりする。

でも、エッセイと随筆って、少しニュアンスが違う気がするんだよね。

エッセイは、

「私が書いていることは、正しいわけではないですが、だからといって間違っているわけでもないのかもしれません。もちろん、それを誰かに強要するような態度もなく、あくまでも、その時、私が思った『世界に対する反応』を感想として、観察するように書き記しているにすぎないのです——」

なんて釈明するような態度が含まれている気がする。自分が主張しやすいように環境を整備しているとも言えるかもしれない。でも、そのおかげで社会に対する発信の敷居を下げ、モノが言いやすくなり、世界を動かし、文学のジャンルとしても確立した。だから、エッセイには、すごく力が宿っていると思うんだよね。(ただの妄想だけど)

随筆は、

「あのー、これは私が書いているように見えますが、実はそうではなく、筆がおのずと動き出して書かれたものにすぎないのです・・・」

という、ある種の無責任さがある気がしてならない。主語をボカすというかね。笑っちゃうような力の抜け方で、それを「心のありよう」なんて言葉を使ったりもする。とにかく無責任さが漂ってる。
だからこそ、言葉の多面性が浮かび上がるのかもしれない。「そうは書いてますが、つまりはこういうことなのでは?」なんていう深読みができたりする。それを“余白”と呼んだりして、それがまた文化として醸成されていく。日本っぽい気がする。うまいところに落としたなあ、ってね。(妄想だけど)

じゃあ、ウチはなにを書いているんだろうと考えたら、完全に随筆なんだと思う。エッセイではない。ぜーんぜんない。無責任のかたまり。主語ズラしまくり。むしろ、たまに自分が出てきてしまうと、「キャー、気持ち悪い」とすら思ってしまう。

なのに、この文章に【エッセイ】なんて冠をつけてるのは、今は【エッセイ】の中に随筆の意味、ニュアンスがたっぷり詰まっているからなんだよね。語源は違うのかもしれないけど、意味は混ざってる。

本当なら言葉も混ぜて「エッ筆」とか「随ッセイ」の方が分かりやすいんだろうけど。おさまりが悪いものね。

これからも【エッセイ】でいこうと思います!


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