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【エッセイ】 テマの時代。


「本を読めなくなった」

先輩は残念そうに言った。年齢を重ねるたびに、読書する体力が落ちてきてるんだとか。まるで足腰の筋力が弱っていくみたいに読書ができなくなっていくらしい。

先輩はお医者さんの家系に生まれた典型的な才女だ。天真爛漫に生きてきたのに、学校の成績は常にトップを誇るという、あたしには理解し難いほど、頭がいい。「友達は本だった」と断言するほどの読書家で、しかも速読だったらしい。1日に何冊もの本を読めたんだとか。

その力が活きているのか、今でも企画書などは時間をかけずに何本も読めるし、どんなに長文のメールを送ったとしても返信がとにかく早い。それでいて的確な指示ができるし、知識も豊富で、誰もが認める優秀な先輩だ。憧れの的として後輩からも慕われている。あたしもその一人なんだけど、そんな先輩も50歳が迫り、ポツリと一言……、それが冒頭の言葉だ。

正直、あたしは「本当だろうか?」と疑ってしまった。

本を読むのには時間と体力がいる。それは読書から遠い人生を送ってきた身として、よく理解できる感覚だ。あたしの学生時代なんて、一ヶ月かかっても一冊も読破できないような状態だった。

文字を追うだけでも疲れてしまうし、読書には想像力が求められる。小説はもちろんだが、ノンフィクションやビジネス書ですら、自分ごとに置き換えながら読むために想像力が必要になってくる。だから余計に体力を奪われる。

でも、これは本に限った話ではないんじゃないかしら。

漫画を読むことだって同じことが言えると思うし、ゲームをする人も同じことを言う気がする。きっと趣味などの「好きなもの」を持っている人ならば、みな、同じことが言えるのではないだろうか。

何事にも時間と体力はいるよ!

しかし、中には、ずーっと「好きなもの」に没頭し続けているような狂人もいて、おじいちゃん、おばあちゃんになっても衰えを知らないヘンな人は世の中に多い。特に文学やアートなどの芸術の世界に身を置く人が多いような気もするが、いわゆる研究者と呼ばれる人たちも多いだろう。

何事にも時間と体力がいることは共通しているはずなのに、先輩の例で言うと、「本が読めなくなる人」と「読み続けられる人」が出てきてしまう。

この差はなんなんだろうね・・・。

あたしには全く到達できない次元の話だと思うけど、なんとなくの妄想で考えてみる。

たぶん、年齢に限らず、人間はラクをしたがる動物なんだよね。そりゃ、ラクしたいさ。オーディオブックが登場したら、そりゃ使うよね。ラクだもん。読む時間や体力はないけど。聴くのだったらラクだもん。YouTubeで本の解説や要約が上がっていたら、それでいいやと思っちゃうよ。ラクだもん。

攻略本が発売されたら、速攻であたしは買ってました。攻略本を見て、ラクしてゲームをクリアしてました。それが楽しかったの。続かなかったけど。それこそ今では、YouTubeにいっぱい上がってるもんね! ラクちんラクちん!

映画館にいくのが好きだったけど、今ではスグに配信としてアップされて、お家で見れてしまうからね。そりゃ劇場に足を運ぶことは少なくなるさ。ラクだもん。テレビだって同じこと。ぜんぶスマホで情報収集できるし、良質なコンテンツも揃ってるんだから、見なくなるさ! スマホの方がラクだもん!

よくよく考えると、世の中には「テマ」がたくさんあったんだよね。

本を買うこと、ページをめくること。ゲームをプレイすること。映画館に足を運ぶこと。リモコンを操作すること。絵を描くことや文章を書くこと。みんな、テマ。時間もかかるし、体力も使う。

きっと、これまでテマだとは思ってなかったんだけど、あまりにも便利な世の中になってきているから、無意識に【テマ認定】してきているのかもしれないね!

もしかしたら、今は《そのテマが自分にとって必要なものかどうか》を判断する時期に来てるのかもしれない。

そう考えると、先輩が「本を読めなくなった」のは年齢のせいではなく、便利の発展によって、読書が【テマ認定】された可能性がある。

妄想が盛り上がってきました!

きっと「テマ好き」な人が、衰えることなく長く続けられるのかも知れないね。これまでは、「読書が好き」とか「ゲームが好き」で片付けられていたものが、これからは「文字を追う」ことが好きとか、「ページをめくる」ことが好きとか、「コントローラーを操作する」ことが好き! なんていう、テマ好きがキーワードになってくるかもしれない。

こいつは面白い時代になってきた!
今一度、生活を見直してみよう!

そのテマは、自分にとって必要ですか?


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