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高齢出産#24 不妊治療クリニック卒業

この年齢になって
何かから「卒業」する日が来るとは
思ってもみなかった。

今日、妊娠9週5日目。

お腹の子供は順調に育っていて、
3年半通った不妊治療クリニックを卒業した。

🌸

私がクリニックに初めて訪れたのは
2018年1月の、とても寒い日だった。

当時は34歳になったばかり。
結婚して2年、夫は30歳だった。

まだ34歳、もう34歳。
まだ30歳、もう30歳。

私は2年経っても妊娠しない事に焦り、
夫は、まだ子供は早いと思っている。

今すぐ妊娠したら、
ぎりぎり高齢出産にならない。

そう言って夫を説得した。

初めてクリニックに行った日は
緊張して、不安で、心細かった。

妊娠できない体質だったらどうしよう。
会社を辞めて妊活してるのに。。

不妊治療の知識も全く無い。
怖いことだらけだった。

「怖い」とは「知らない」という事だ
と、痛感した。

🌸

最初の一年は、
あまりクリニックが信用できず
人工受精とシリンジ法を交互に試した。

二年目は、粘膜下子宮筋腫が見つかって
手術して、何だかんだで一年かかった。

三年目、2020年1月。
体外受精をする、と腹を括った。

体外受精はキツかった。
採卵の準備も、採卵手術も痛かった。

2人目も見据えて、先に3回採卵して
胚盤胞を6個、凍結保存することにした。

採卵は一回約50万円。
三回で約150万円。

この時すでに、働いていた時の疲労と
不妊治療のキツさで、うつ症状が出ていた。

治療を休んだ3カ月は、とても体が楽で
「子供がいなくてもいい」と本気で思った。

ところが健康診断をきっかけに
大腸ポリープが見つかり、手術することに。

残りの人生について考えるようになって
「やはり子供が欲しい」と思うようになった。

2020年秋に治療を再開、胚移植をするが
残念ながら流産してしまった。

この後、強いうつ症状が出た。

なぜ生きているのか分からない。
自分も死のうか、一人で考えた。

※この時はnoteの皆様に支えて頂きました。
 本当に、ありがとうございました。

たまたまこの時、持病の腰痛の鎮痛剤を
抗うつ剤にも使われる物に切り替えたら
腰痛がとても楽になった。

痛みは楽になる。
きっと、この落ち込みからも抜け出せる。

それで何とか持ち直して
二回目の胚移植をして、今に至る。

🌸

クリニックのことは、
三年目から信頼できるようになった。

治療が辛い、治療内容が分からない、と
素直に伝えるようにしたのだ。

他人に助けを求めるのは、
結構難しいことだと思う。

自分の弱さを認めて、
しかも弱い部分を晒す事になるからだ。

受け入れて貰えないかもしれない。
解決しないかもしれない。

でも、専門家に任せて胸を借りよう。

そう思って、胚培養士さんと何度も会った。
不妊カウンセラーにも相談した。

治療について勉強して
医師にも質問するようにした。

すると、クリニックの人々が
温かく見守ってくれていたことが分かった。

私は多分、クリニックで一番
通院歴の長い患者になっていたと思う。

私が母子手帳を出す時、
受付の怖い顔のボスが少し笑顔になる。

この人、私を認識していたのか。
そりゃそうか、3年半も通ってるんだもの。

🌸

卒業の日は、少し綺麗な服で行った。
夫にも、きちんとした服を着てもらった。

妊婦健診をして、
医師に産婦人科への紹介状を書いてもらう。

4つの胚盤胞の凍結保存をする
更新料を一年分(55000円)支払った。

夫婦でお礼の挨拶をした。

卒業生がメッセージを残す、という
風習がクリニックにあって

過去の卒業生たちのメッセージ集を読み
私もメッセージを書き残した。

ふいに涙が出てきて、
3年半のことが頭を駆け巡る。

今、確かに私は卒業しようとしている。

一体、何から?

苦しかった治療から。
悩み尽くした不妊から。

それとも、子供時代から?

これからは母親になる。

もちろん私のままだけど
今のままではいけないだろう。

こうやって、女性は一段ずつ
はっきりとした大人の階段を上って行くのか。

さようなら、私の長かった子供時代。

明日からは、もっと強い私になる。

こうして卒業式を終えたのだった。

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